好きだ


私はこういう骨太な本が
実は
ものすごく好きだ


とんちゃんこと、上甲知子さんの
インスタライブで
紹介されていたこの本


『馬ぬすびと』
平塚武二 作
太田大八 画
福音館書店




直感で
「これは買おう」


と思った



届いてすぐに読んだ



心の奥があつくなった


九郎次の一人語りで進む物語


九郎次は
たった一頭の馬を盗んで
捕らえられた



でもそれは

金ほしさでも


世の中への反発でもなく



ただ

さむらいに捕らえられてしまった馬を
解き放してやるため


その馬は
幼い頃から

美しいその姿に見惚れ
九郎次が、九郎と名付けた馬だった


九郎次は
九郎が子馬の頃から
静かに見守っていた


成長するにつれ
その姿に惚れこんだ


馬そのものにも憧れ
馬の世話をするようになり


その土地を離れても
岩手山で九郎が走っている姿を
想像するだけで
九郎次の心は慰められた




九郎は
九郎次の生きる糧だったのかもしれない 



輝くばかりの素晴らしい
黒光りする毛並みの
その馬、九郎


その九郎を
野に解き放してやるため


九郎次は九郎を盗んだのだ




九郎次の
賢さ、我慢強さ

頑強さ
心優しさ


あぁ、なんてかっこいいのだ
惚れる


貧乏の百姓の家にうまれ
死にそこなった自分の存在を


嘆くでもなく
反発するでもなく
 
そういうものだと
受け入れ
たんたんと生きている九郎次


一方で
九郎次の馬への想いは

生半可ではない



九郎次にとって

馬、特に九郎は
自分そのものだったのかもしれない


だから


九郎を解き放つことが
九郎次の夢となったのかもしれない



ただ

(ここがものすごく好きなポイントの
ひとつなのだけど)


九郎次と九郎は
物語の最後まで直接的な交流はない



九郎次は九郎を見つめているけど
九郎は九郎次をみていない


ただ、九郎は
野馬らしく生きているだけ


そして

九郎次はそれで良いと思っている
それ以上は望んでいない


というか

そうあるべき

と思っている



本当に愛するとか
想うというのは

こういうことなのかもしれない



ただ


最後の一瞬

九郎次と九郎が
通じる場面がある


ここから引用
おれは簑をぬぎすてた。ささやぶの中に、すっくと立った。九郎の目がおれを見た。おれの目と、九郎の目が、カッチリあった。そのときの九郎の目のかがやき……。それが矢よりも速く、おれの心をさしつらぬいた。
引用ここまで


この一瞬で
伝わりあったのか

でも
確実に九郎次の心は動いた


そのための
今までだったのか


果たして
九郎次は
捕らえられる


最後まで潔い九郎次


誇り高き九郎次

一切の悔いなく
そこにいる


最後の言葉が
切なくて優しくて
涙が止まらなかった



これはまさに
出会ってよかった本だった


児童書というくくりにしておくのが
勿体ない気持ちすらする


もしかしたら
今の小学生には
取っつきにくいというか
よほど本好きでないと
読めないような気もする



でも
どこかで出会ってほしい


大人にも出会ってほしい


(馬ぬすびとに影響されて
今日は文体をかえてみました)