昨日は 日本代表 VS セルビア代表
の試合がありました。
皆さんもご存知の通りセルビア代表の監督はストイコビッチです。
そんなミスター(ストイコビッチのグランパスからの愛称)との思い出を少し書こうと思います。
初めては2001年Jリーグ1stステージ第3節
瑞穂陸上競技場にて
名古屋グランパス vs 横浜Fマリノス
この試合で対戦しました。
ミスターがこの2001年で引退したので、最後に対戦することが出来ました。
この試合は1-1でした。
メンバーは こんな感じでした↓
そしてそれから2009年に、ミスターからの直接話があり横浜Fマリノスから名古屋グランパスに移籍することになり2013年まで、5年間共に過ごしました。監督と選手の関係以上の家族のような素晴らしい関係を築くことが出来ました。
ミスターからの話がなければグランパスに移籍することはなかったと思います。
2010年にはグランパスJリーグ初優勝を共に経験しました。ミスターからは本当にいろいろ学ばせてもらいましたし、僕に大きな影響を与えてくれた監督の1人でもあります。
以前にも【闘争心】書きましたが、僕にはかなりかなり厳しいミスターでした。 当時のグランパスにいた人なら分かると思いますが、いつも怒られ怒鳴られの叱咤激励...ではなく叱咤ですね...苦笑
ミーティングではよく名指しで怒られ、試合中もハーフタイムのロッカールームでも...
今でも鮮明に言われたことはよく覚えてます笑
それでもグランパス時代は、他のどの選手よりも1番試合に出場させてもらいました。
2回ぐらいしか褒められた覚えはありませんが、その2回は今でも怒られたこと以上に嬉しかったのを鮮明に覚えてます笑
あの有名な日産スタジアムの横浜Fマリノス戦での 〝革靴シュート〟 1番目の前でみてました。
審判がミスターにレッドカードを出すときに、マツさんが「退場にしなくていいじゃん」って言ってたぐらい
凄いシュートでしたね...苦笑
その試合後のミーティングで ミスターから「お前らがゴールしないから私がゴールした」って言われました。
本当にいろいろなことがありました。
2013年にお互いグランパスを退団して、僕は松本山雅FCにミスターはその後、中国で監督、今はセルビア代表監督。
僕がグランパスから退団することが決まった時に、最初にその話をしたのがミスターでした。 監督室でお互い今までのことやこれからのことを話しました。
グランパスを離れてからも、連絡をとったりしてます。
入院中に何年か前の映画で、マンチェスターシティのペップ・グラウディオラ監督、トッテナムのジョゼ・モウリーニョ監督のミーティングの様子が映ってたシーンを観ましたが、言っていることや雰囲気、言葉の口調がミスターと同じで、そのシーンを観ながらグランパス時代のミスターのミーティングを思い出したりしてました。
改めて偉大な監督のもとでサッカーができたことを幸せに感じました。
せっかく日本に来日してるので、会いに行きたかったんですが、今の状況を考えると無理なので、
またいつになるか分かりませんが、会えることを楽しみにしたいと思います。
『Never give up』...
よくミスターに言われた言葉です。
今の自分に言われてると思い頑張ります!
松本山雅FC 3 絆 田中隼磨