私は小さい頃から、母によく、

「あなたは思いやりのない子だ」

と言われてました。





今でも覚えてるシーンがあって、

私が小学1年生、妹が2歳の時のエピソードで、

おばあちゃんちに行った時、

母に「このイチゴ、姉妹でわけて食べなさい。rikaちゃん分けて!」

と、お皿を2つ渡され、容器に入ったイチゴをわける私。

妹と自分、それぞれのお皿に私が1つずつ入れていく。





同じ数ずつ入れたけど、

私は大きくて赤いイチゴを自分のお皿に取り、

妹のお皿には小さなイチゴをいれた。

らしいアセアセ





分けるところをじっと見ていた母が、お皿を指差しながら、おばあちゃんに、

「ね?rikaちゃんってこういう子なの。意地悪で思いやりがない子。」

と冷ややかな目で私を見ながらおばあちゃんに説明していたタラー





そして私に、

「rikaちゃんはホントに思いやりがない子だね。
こういう時は人の方に大きいの入れるものよ。」

と、かなり軽蔑した感じで言ってきたショボーン






「rikaちゃんは思いやりがない子」といろんなシチュエーションのたびに、真剣に言われてたから、

私はずっと「私は思いやりがない子だ」と思ってて、



大人になって他人に優しくしてる自分に対して、

「偽善だな」
「優しさじゃなくいい人のフリしてる」

と自分で思ってきた。






だから、私は実は思いやりがないのに、優しい人ぶってることが周りにバレたらどうしよう。

とずーっと思ってた。







正直、今でもよくわからなくて。

私は思いやりがあるのか?ないのか?






でも、私は優しくしたいからしてるわけで、

別に実は思いやりがなかったとしても、

今優しくしたいからしてるならそれでいいわって思ってる。






でも、少し前、やっと気付いたのが、


子どもなんか、自分は小さいイチゴでいいから、他人に大きなイチゴを譲ろうとかってフツー思わないし、





2歳の妹なんか、小さいイチゴばっかり与えといても簡単に誤魔化せるんだから、

小1の私がズル賢く、大きなイチゴをゲットしても、フツーに子どもらしいやん爆笑


って思って。






でも、親に言われた、

「rikaちゃんは思いやりがない子」

という言葉を子どもの時は疑いもしなかったから、






大人になってからもずっと、

人に優しくする自分を偽善者だと思ってたことに気づきました。






で、何が言いたいかというと、

やっぱり、親からの子どもへの意識、言葉って、

メチャクチャ子どもの心に作用するんだなってことです。






きっと、私のイチゴの分け方を見た母が、

「rikaちゃんは、きちんと同じ数ずつイチゴを分けるとっても公平な子ね。」とか、

「rikaちゃんは、2歳の妹が食べやすいように小粒のイチゴをより分けて入れることのできる優しい子ね。」

「自分はいいイチゴをシレッと取るなんて、そのずる賢さはきっと要領いい大人になるね!」

とか、もしそんな風に言われてたら、



私は自分のことを、公平な子、優しい子、賢い子、って思ったんだろうなって。







子どもは自分自身の価値や意味や性質なんて全然わかってないから、

親から言われた「あなたは〇〇な子」って言葉がほぼ100パーセント自分って思っちゃうのかも。






だから、やっぱり母親から子どもへの声かけはすっごく大切だと思いました。

(今さらか笑い泣き





私も、自分の子どもたちにはいっぱいひどいこと言ってきちゃったけど、

これから、いい意識で子どもたちを見て、

子どもたちのいいところ、長所を見つけたらその都度、本人に伝えてあげたいなって思いました。






さっき、イチゴを食べてたら急にイチゴエピソードを思い出して記事にしちゃいました笑い泣き






たくさんリブログやイイねをいただいた記事です。

関連してるので、よかったらこちらも合わせてどうぞラブラブ