これからゆっくり隋書倭人伝について講義しますが、その前に。

日本という国名について最初に出てくる書物はご存知ですか?
 
隋書ではありません。

この中で「日出る処の」という名称は出てきますが、まだ日本とは言いません。
 
正解は新唐書と旧唐書で、
この中で二つの説が出てきます。

「昔は倭国だったが、名前がみやびじゃないので日本にあらためた。」という話と、

「日本という国を滅ぼして継承した」という話。
 
さあ、どんどん日本の古代がわからなくなってきます。
 
大切なのは、これが歴史を整理して残すということを冷静に続けている中国と
 
その当時はまだ文字が伝来しておらず、口承によって伝えてきた日本。

今の日本の歴史ではまるで何千年も倭国の中心が近畿にあって単一王朝であったという歴史認識ですが、
果たして本当にそうなんでしょうか?

その疑問を中国の歴史書は教えてくれているのです。

僕が歴史に意欲的に目覚めたのは小学校の高学年のとき、

札幌市の中央図書館へ通うことがあって、

教科書には無い分厚い本から得る情報のなかでどうしても日本の生い立ちの情報が見つからない、

その時に、

空白の3世紀を埋めたい、

そう願ったのが始まりでした。


そしていろんな人の本を読んでいく中で出会い、それが衝撃的だったのが

古田教授の本との出会いでした。


しかし、そこにたどりつくのが遅かった。


せめて中学生の頃に出会えていたなら、


僕の人生は変わっていたでしょう。


その古田教授の導いてくれた先にあるのは、


日本列島は最初から一つの国ではなかったということです。


しかし、本当に想像力の無い日本の史学家たちは

歴史的な発見があるたびに

全て教科書的なまとめ方をするために、

でっち上げの歴史を作ることになってしまったのです。


自分の都合の良い解釈をせず、疑問は100%解決するまで疑問にしなければいけないのに、

適当な接合をよしとするため。



なぜ邪馬台国論争がおわらないか。

それは幾重にもからんだ明治以来の日本史学の

未熟さにあるんですね。


そして、福岡、奈良の地面をほじくりかえせないことと、

開発優先で、遺物発見を闇に葬る土建屋さんたちの今までで。


その中で古田教授はもっとも信頼に足る中国の書籍を丹念に調べ、

既成概念に惑わされること無くいくつかの答えを導いてきました。


それが教科書にまっこうから反発する

大和朝廷の遣隋使はなかったということなのです。

むかし上岡竜太郎が
テレビ番組の中でさらりと言うてはりました。

「遣隋使は存在しない。」と。

そう、そんなことを言っているのは教科書をはじめとした最近の本だけです。
 
なんのことやらわからんですわね。

原典となる日本書紀にも古事記にも

そんな言葉は存在しません。

あるのは小野妹子を唐に遣わしたということだけ。


そう、大和朝廷は隋に正使を送っていないのです。
 
でも隋書には倭の王様から使いが来ていることになっている。


初めてアメリカと国交を開いたことを書かない教科書はないですよね。

では日本の歴史家は中国と国交を対等外交をしようと送った事件を忘れたのでしょうか?


 
実はこれは大変なことで、

つじつまあわせができないために
日本の史学会は遣隋使を捏造しているんですね。
もちろん本人たちはそんなつもりは毛頭ないでしょうが。

ここから日本史の大革命が始まってしまうのです。

遣隋使を送った日出る処の天使は聖徳太子ではない、と。