感動「まさか生き方を15歳の少年に教えられるとは…世界が心震わせずにはいられなかった」 | おふくのブログ

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日本でのごく普通の日々の中で、心動かされる素敵なものに出会い、誰かに伝えたいと思った時に書く…今も変わらぬスタンスです。
気づけばユーチューブ動画のご紹介が中心で、少しでも分かり易い記事をと思いやっております。


たぶん、ニュースで見た記憶、東日本大震災の10日ほど後、被災地の中学校卒業式で、卒業生代表が答辞を述べる姿とその言葉に、もらい泣きしました。こちらの動画は、この時から5年後に、この卒業式での答辞を振り返っている記事を載せたものです。それからまた4年過ぎ、今年は東日本大震災から9年経ったのですね。改めまして、この震災でお亡くなりになった全ての方々のご冥福をお祈りいたします。

答辞では、「天を恨まず」「天に向かって顔を上げ、前に進もう」と当時15歳の少年が語りかけてくれました。そんな想いに、その後大人達は恥ずかしくない生き方、自分以外の誰かの為に思いを馳せて全力で生きてきただろうかと、記事では問いかけていました。この9年間、自分はどうだったのだろうと考えさせられました。


感動「まさか生き方を15歳の少年に教えられるとは…世界中が心震わせずにはいられなかった」涙の卒業式答辞「天を恨まず」〖海外が感動する日本の力〗 12:20
https://youtu.be/nNPzS7TpW-Y

書き起こし



「天を恨まず」
気仙沼 涙の卒業式


東日本大震災から5年以上が経過しました。
ニュースなど観て、
「あの日から、もう5年以上が経過したのか」
と思う方が多いかもしれません。

5年という時間が経っても癒されることのない
被災された方々の心に残る傷、

未だ手つかずの問題が多く残っていることを、
ニュースやボランティアで
現地に行ってきた方々は口々に伝えてくれました。

日常生活の中で、
私達の身の回りに起こる悲しみや苦しみ、
誰にも分かってもらえない悔しさ、
どうしようもない思いについて考えた時、

突然のように「天を恨まず」という言葉が
よみがえってきました。






東日本大震災から10日後のことでした。
「気仙沼市立階上中学卒業式」は、
震災翌日に行われる予定でしたが、
3月22日に変更して行われました。

卒業生代表の梶原裕太さんが語った
答辞の中の言葉「天を恨まず」は、
沢山の日本人の心に響きました。

わずか15歳前後の少年が歯を食いしばりながら
最後まで立派に読み上げた答辞の言葉は、

この大震災をどう受けとめたら良いのか
まだ分からなかった大人にも、
力強いメッセージとなって届きました。

混乱と悲しみの最中で行われた卒業式で、
涙をこらえながら読み上げられた答辞を
ご紹介します。






「本日は 未曾有の大震災の傷も癒えない最中
私たちのために卒業式を挙行していただき
ありがとうございます

ちょうど 十日前の三月十二日。

春を思わせる暖かな日でした
私たちは そのキラキラ光る日差しの中を
希望に胸を膨らませ
通いなれたこの学舎を
五十七名揃って巣立つはずでした。

前日の十一日 一足早く渡された
思い出のたくさん詰まったアルバムを開き
十数時間後の卒業式に
想いを馳せた友もいたことでしょう。

「東日本大震災」と名付けられる
天変地異が起こることも知らずに・・・


階上中学校といえば「防災教育」といわれ
内外から高く評価され
十分な訓練もしていた私たちでした

しかし 自然の猛威の前には
人間の力はあまりにも無力で
私たちから大切なものを
容赦なく奪っていきました

天が与えた試練というには
むごすぎるものでした

つらくて 悔しくてたまりません

時計の針は 十四時四十六分を指したままです
でも 時は確実に流れています

生かされた者として顔を上げ
常に思いやりの心を持ち

強く 正しく たくましく
生きていかなければなりません

命の重さを知るには 大きすぎる代償でした


しかし 苦境にあっても

天を恨まず 運命に耐え

助け合って生きていくことが

これからの 私たちの使命です」






「私たちは今
それぞれの新しい人生の一歩を踏み出します

どこにいても 何をしていようとも
この地で仲間と共有した時を忘れず
宝物として生きていきます


後輩の皆さん 階上中学校で過ごす
「あたりまえ」に思える日々や友達が
いかに貴重なものかを考え
いとおしんで過ごしてください


先生方、親身のご指導ありがとうございました
先生方がいかに私達を思ってくださっていたか
今になってよく分かります


地域の皆さん、これまで様々なご支援を頂き
ありがとうございました
これからもよろしくお願いいたします


お父さん お母さん 家族の皆さん
これから私たちが歩んでいく姿を
見守ってください

必ず よき社会人になります
私は この階上中学校の生徒でいられたことを
誇りに思います


最後に
本当に 本当に ありがとうございました

平成二十三年三月二十二日

第六十四回卒業生代表 梶原裕太」






被災地の子ども達、学生たちは、
梶原さんをはじめ、一生分かそれ以上の
壮絶な悲しみと苦しみを一度に経験されました。

私は一度に家族を亡くした方や、
家を失った方のように、
それほどの大きな経験をしたことはありません。

被災地で経験された方々にしか分からない、
尋常ではない経験だったと今でも思います。

「天を恨まず」

東北の人の強さを垣間見た気がします。

悲しみに打ちひしがれるのではなく克服し、
乗り越えていくたくましさ・・・。


もちろん、誰でも小さな日常の生活の中に、
苦しいこと、辛いこと、
悲しいことや悔しくてたまらないことはあります。

普段より大きなストレスを感じ、
精神的にダメージを受けると、そんな時、
人は「誰が悪いのか?」と犯人捜しを始めます。

そして相手が「自然」だった場合は、
「天を恨む」のです。

「天を恨んで当たり前」と思える状況が、
私達の周りには多々あるように思います。






しかし、15歳の梶原さんは違いました。
潔く、たくましく、正しい心を持って、

「天に向かって顔を上げ、前に進もう」
と語りかけてくれたのです。


その後のインタビューでは、
この【天を恨まず】という言葉に対して、


自分も読んでる瞬間は、
「どうしてこんなことに」
となっているところもあったんです。

でも読む瞬間で、
自分に文章を言い聞かせた部分もあるので
しおれることなく大きな人間になって
再びこの階上の復興に役立つ

そういった人間に
一緒になっていこうという思いを込めました


と語っています。そして彼は中学卒業後、
災害の情報をより素早く伝えるシステムを開発し、
犠牲者を1人でも減らしたいと考え、
高等専門学校へ進学しました。


技術を身につけて、
内面的にも自分の人間性をみがいて
復興に役立てる人間になることが、
僕の使命なのかなと感じます。

その気持ちがあるからこそ、
それを支えにして、
どんなに時間がかかっても、
必ず復興出来ると思います。


そう語る彼の凛々しい表情からは、
これから復興に携わる人間として
成長していこうとする決意や、
覚悟が感じられました。






当時中学生だった彼らは、成人となりました。

きっと私たち大人が想像するよりも、
ずっと大きく成長していることでしょう。

そんな彼らに恥ずかしくない5年間を、
私たち大人は過ごして来たのだろうか。

「天を恨まず」と言った
彼の誓いを守っていくために
絶え間ない支援の手を差し伸べ続けるのは
私たち「大人の使命」です。

直接的・間接的、被災地のため、日本の将来の為、
人それぞれ出来ることは様々ですが、

自分以外の誰かの為に思いを馳せて
日々を全力で生きていますか。



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以上です。