【散る桜 残る桜も 散る桜】多くの犠牲が今の日本を支えてる | おふくのブログ

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日本でのごく普通の日々の中で、心動かされる素敵なものに出会い、誰かに伝えたいと思った時に書く…今も変わらぬスタンスです。
気づけばユーチューブ動画のご紹介が中心で、少しでも分かり易い記事をと思いやっております。


動画を視聴しながら、ブログ記事を作りながら、涙がにじんでいました。なんと言ってよいかわからないのですが、哀しいけれど温かくて。清く澄んだ人の心と言うのか、先人たちの思いは家族や子孫に向けた無償の愛、理屈ではない人の真心で、それが祖国を思う気持ちの大元なんだと思い、有難くて感謝の気持ちが溢れました。


【散る桜 残る桜も 散る桜】多くの犠牲が今の日本を支えてる 3:47
https://youtu.be/Dtq1CzMEaDk
残念ながら、元動画は消えてしまいました。
🌸🌸🌸




内容書き起こし


「最後のコンサート」



大東亜戦争(太平洋戦争)中、
約4千人のパイロットが
特攻で若い命を散らしました。


これは特攻にまつわる実話です。


すでに米軍が沖縄に侵攻
していた昭和20年5月のある日、

二人の童顔の陸軍将校が佐賀県
の鳥栖小学校を突然訪ねてきた。


上野歌子先生が
応対すると、二人は言った。


「自分たちは

上野音楽学校
(現・芸術大)

ピアノ科出身の学徒出身兵です。

明日、特攻出撃
することになりましたが、

学校を出て今日まで
演奏会でピアノを弾く
機会がありませんでした。

もちろん祖国のために
命を捧げる事は本懐ですが、

今生の思い出に
思いきりピアノを弾いて
二人だけの演奏会をやりたいのです。

今日は目達原の基地から、
あちらこちらとピアノを求め歩いて、

やっとこの小学校
にたどりつきましたが、
どうぞお願いいたします。」


上野先生の胸中は灼きつく
熱いものがこみあげてきた。


「どうぞ兵隊さん、
時間のある限り弾いて下さい。

私もここで聴かせていただきます。」


静かな放課後の音楽教室で、
二人の少尉は、
代わる代わるピアノに向かって
ベートーベンの
「月光」などの曲を奏でた。

その一時間程の間に、
どこから聞きつけたのか

二十人程の学童達
がいつの間にか集まってきて、
一緒にピアノの演奏に耳を傾けた。

やがて帰隊の時刻も迫ってきた時、
上野先生は二人に向かって言った。


「有難うございました。

こんな素晴らしいピアノを
何年ぶりかで聴かせて頂きました。

この子達も
あなた方のお姿と一緒に
永遠に今日のピアノ演奏
を忘れることはないでしょう。

明日は愈々ご出発とのことですが、
心からご武運を祈らせていただきます。

お別れにこの子達と
『海行かば』
を合唱させていただきます。」


教室一杯に静かに
『海行かば』が流れた。

送られる二人の少尉もいつしか
声をあわせて一緒に合唱していた。

帰り際、2人の少尉は


「この戦争はいつかは終わります。

しかし今自分達が●ななければ、
この国を君達に残す事はできません。」


といって、
子供たちの頭をなで、満足の
微笑みをたたえながら去って行った。


翌日の午前、
鳥栖小学校の上空に
一機の飛行機が現われ、

二度、三度と翼を大きく振りながら
南の空へ飛び去っていったという。

この時のピアノは今も、
鳥栖小学校に保存されているそうだ。


・・・・・・・・・・・・


今私達が暮らす日本は、
モノやサービスが充実して、
何不自由なく暮らしていけます。

しかし、現在
平和に暮らしていけるのは、
この二人の兵隊さんはじめ、

当時祖国の為に
戦ってくれた大勢の人々の
犠牲の上に成り立っているんだ、

と改めて気付かされました。

この話は決して
忘れてしまっては
いけない話だと思います。

是非、
多くの方へ拡散をお願いします。



以上です。




「今自分達が死ななければ、この国を君達に残す事はできません」未来の私たちのために、祖国を残すために、先人たちは戦い、その大勢の犠牲の上に、私たちはこうして日本で平和に暮らしていられる。まだ二十歳そこそこだった童顔の青年達のこの思い、有難くて心震えました。決して忘れません、感謝の気持ちとともに伝えていきたいです。そして、私たちも次の世代にこの国をちゃんと残さなければならない、それが先人たちの思いに応えることになるんだと思っています。


この曲で合っているかわかりませんが、載せてみました。

ベートーベン ピアノソナタ第14番  「月光」 


「海ゆかば」