ノボの生き活きトーク 675号: さあ、歩こう(アルコー) | 生き活きノボのブログ

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師走とは思えない暖かさが続いていましたが、昨日から真冬並みの寒さになった那珂市です。ようやくクリスマスや年の瀬の雰囲気が出てきました。

北海道と日本海側は善きが降っているようですから、この分ですとホワイト・クリスマスになるのか。関東地方は冬型の気圧配置であり、寒さは続きますが、晴れて雪は降らないようです。ちょっぴり残念ですが、まあ、雪かきはしなくて済み、散歩はできますから贅沢なことです。この調子ですと、年末も年始も散歩ができそうで、歩き納めは勿論、元旦の歩き初めもできますね。2024年がどんな年になるのか分かりませんが、「一年の計は元旦にあり」と言われますから、初心に帰り、清らかな気持ちになって“初歩き”を楽しみたいものです。

さて、ノボは、これまで何度も歩くことの楽しさを書きましたが、歩くことができる人には、男女を問わず、幼い子供から歳を重ねた大人まで、誰でも無条件に楽しめます。あの『隣りのトトロ』の散歩の歌(あるこう あるこう わたしはげんき あるくの だいすき どんどんいこう)のように。少女メイのように無邪気に、ニコニコして、自然の中で五感に触れるものを、ただただ楽しみ喜ぶだけですか。

ところで、ノボは最近、面白いことばに気が付きました。アリストテレスの『形而上学』を読んでいて、“アルコー”という語を再認識したのです。ギリシャ語で“元(はじめ)”とは、“アルケー”(arche)というそうです。その意味は、人がそこから最初に運動を始める、運動の出発点だそうで、そこから着手点、最初に生じてくるような構成要素、事物の運動や変化の始まり、などという意味が派生したようです。“アルゲー”の動詞は“アルコー”であり、“はじめてする”とか“始める”という意味さそうですが、ノボにとっては“アルコー”は“歩こう”であり、とにかく身体を動かすということになります。そうです、歩くことは、人間の運動や活動の始まりと解釈され、何だか、ギリシャ語の意味が日本語の意味を補強しているようにも思えます。

とすれば、新年に当たって、それも元旦に歩くことは、意義深いことなのかも知れません。何も哲学者のように、深い思考をしたり、ひらめきを求めるものではなく、『隣りのトトロ』のメイのように、素朴に、自然なままに、楽しく歩くだけです。こう言うノボも、散歩の時、高尚で難しい思考などに縁がなく、過去の楽しい想い、これからの楽しい予定をただただ漠然と思い浮かべるだけですね。ですから、元旦に歩いても、大した感慨は湧かないでしょうが、歩くことは活動の始まりであり、初詣ではないのですが、新鮮な気持ちになるのかも。新年に当たり、その年の喜びが一つでも思い起こされ、歩く勇気が湧くと、望外の幸せですね。

まあ、今夕は、イルミネーションでも眺めながら、歩いたご褒美に、ビールと日本酒、焼酎でも楽しむとしますか。 (令和5年12月20日)