ノボの生き活きトーク 668号: まん延する偽情報(フェイク) | 生き活きノボのブログ

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天高く馬肥ゆる秋、このところ爽やかな青空の続いた那珂市ですが、本日は少々雲の多い天気となっています。もしかすれば、雷雨があるのかも。

雷雨は自然現象であり、ピカピカ・ドスンと地上を揺らしますが、しかしそれに比較できないほど、人間の仕業による爆弾やミサイル攻撃は衝撃的です。ウクライナ戦争に加えて、イスラエル・ガザ地区での空襲の悲惨なニュースは、誰もを暗くし、やり切れない気持ちにさせます。日本から遠く離れた場所での出来事で、一見我々と無縁のようにも思われます。がしかし、時間をほんの少し遡れば、日本も同じ運命を見舞われていました。かく言うノボの昔の家も、太平洋戦争中、米軍の直撃弾を喰らい、木っ端みじんに吹き飛んだそうです。その時、たまたま親父は新田原基地から帰省しており、空襲警報の音とともに防空壕に入った途端に起きたことです。もし親父が亡くなっておれば、ノボもこの世に存在しない訳です。ですから、空襲後のガレキの中を右往左往する人々の姿をテレビで見ると、他人事ではありませんね。

ところで、人間の戦いが始まると、いつもよりさらに頻繁に“にせ情報”(偽情報)が飛び交います。その典型をロシアのプロパガンダに見て取れますが、これは自国民をだまし、軍隊を鼓舞し、敵を混乱させ、戦いを有利にする手段の一つのようです。素行の芳しくないノボは、小さい頃、ウソはつくなとよく説教されたものです。そのことが染みついているのか、明らかにウソと分かるプロパガンダに接すると、嫌悪感をもよおします。「ウクライナ進攻は我々が始めたのではなく、西側から始められた」とか、「イスラエルとハマスは和平交渉を開始すべき」とロシアから言われても、これまた偽情報の一環かと呆れてしまい、腹立たしいこと限りなしです。もっとも、これはノボの得ている情報が偽ではないとすればですが。

戦争はお互いに殺し合いですから、人間性や倫理観など無用な世界で、偽情報も有力な武器になります。ウソをつくことが悪ではなくなるのです。しかし、ネットの発達した現代では、偽情報の蔓延が如何なる結果を招くのか? アリストテレスの『分析論前書』第二巻に、偽なる前提での三段論法について言及があり、それは

  すべての石は動物である(偽)      ― 大前提

  すべての人間は石である(偽)      ― 小前提

  ゆえに、すべての人間は動物である(真) ― 結論

です。まさか、これはウソを重ねれば真になることを主張している訳ではないと思いますが、便利になったネット世界で偽情報が蔓延すれば、いつの間にか、偽情報が“真”の情報として取り扱われることになりはしまいか、と不安になりますね。

 まあ、ノボのように、毎夕お酒と肴を賞味して単純に満足している身分にとっては、心配することではないのかも。純粋に呑むとしますか。(令和5年10月28日)