ノボの生き活きトーク 474号: 1964東京五輪 その18 | 生き活きノボのブログ

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      永遠なれ 1964東京五輪   ~ ある中学生の遠い記憶と想い ~

 

17想  侘しい閉会式

 

 1010日に始まり、2週間に渡って繰り広げられた1964東京五輪も、1024日に最終日を迎え、閉会式を残すだけとなった。この日も土曜日であったが、閉会式は、暗闇の迫る夕方に行われたので、登校のことなど気にならなかった。しかし、2週間もの間、開けても暮れてもオリンピックに夢中であったので、寂しさが漂う。華やかで、祝賀に包まれていた開会式と異なり、閉会式のことはあまり覚えていない。しかし、淋しさの中にも、強烈な印象を幾つか貰った。

閉会式では、まず、各国の国旗を持った旗手のみが、防衛大学の学生の持つプラカードに続いて、一人で淡々と現れた。各国の選手団は旗手の後に続いていないのだ。それだから、プラカードと国旗を持った防衛大生と旗手のみが次々と現れ、粛々と行進するのを見て、淋しく感じるのも当然だった。最後に、日本のプラカードと国旗が現われたが、それからが驚きだった。日本の旗手に続いて、各国選手達が入り乱れて現われた。勿論、列など作っておらず、各自勝手気ままに歩いて、観客席に向かって手を振る。よくよく見ると、メダルを取ったため顔を覚えてしまった選手が混じっている。だが、こうなると、メダリストかどうかの有無は関係なく、オリンピックでともに戦った仲間として、国や人種を越えて人類が一つになった様相を呈していた。選手の中には辺りを駆け回ったり、何人か並んで写真を取ったり、傘をさしてそれを大きく振っている選手もいる。テレビカメラに向かって剽軽な顔したり、ポーズを取る選手もいる。開会式とは打って変わってリラックスし、祭典を祝う喜びが溢れていた。

 そうした雰囲気に満たされた会場で、最後に日本選手団が列を組み、開会式と同様に整然と現れた。勿論、国立競技場は大きな歓声に沸いたが、小生は若干違和感を覚えた。これは開催国としての“けじめ”なのかも知れないが、何だか、日本人の生真面目な気質が現われていると思った。良いのか悪いのかの判断は、しなかったが。

 閉会式の式典は進み、オリンピック旗が降ろされ、次回開催国のメキシコに渡される。ブランデージIOC会長が閉会宣言をすると、会場は暗くなり、オリンピック賛歌が流れる中、聖火がおごそかに静かに消えていった。この時は、しんみりとした侘しい気持ちがさらに大きくなった。「ああ、1964東京五輪も、ついに終わってしまった」という感慨を持ったのは、小生だけではあるまい。14型の白黒テレビで見た閉会式の様子は、小生の記憶の中では、壮大な国立競技場に世界の人々が集った色鮮やかな式典であった。今でも、そのイメージが残っている。