ノボの生き活きトーク 468号: 1964東京五輪 その12 | 生き活きノボのブログ

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         永遠なれ 1964東京五輪    ~ ある中学生の遠い記憶と想い ~

 

11想  陸上競技の雄

 

 1964東京五輪での陸上競技では、外国人選手の活躍が断然に光っていた。それぞれの種目で外国人メダリストが多数誕生したのであるが、その中でも男子100m走のヘイズ、棒高跳びのハンセン、男子10000m走のミルズ、女子800m走のパッカーなどが、なぜか印象に残っている。

 陸上の花形競技と言えば、やはり男子100m走だろう。世界一速く走る男を決めるのだから、誰もが注目する。その競技時間は僅か10秒前後だから、一瞬で勝敗が決まるが、そこに至る過程が面白い。スタートからゴールまでの一瞬に、全てを凝縮させ、制御し、爆発させなければならない。トップで戦う選手達がタイムを0.1秒縮めるのに、どれだけの工夫と鍛錬を要することか。この種目は、断然黒人選手が強く、米国のヘイズが金メダルに輝くことは、前もって喧伝されていた。小生も、決勝の様子をテレビで見たが、やはりヘイズは強かった。タイムは1006であり、現在の目で見れば平凡かも知れないが、当時は世界記録であった。フットボールの盛んな米国のことなので、ヘイズは、その後確かプロフットボール選手に転向したと聞いた。

 棒高跳びの決勝の戦いは凄かった。雨の降り頻る国立競技場で、米国のハンセン選手と2人のドイツ人選手が、金メダルを粛々として争っていた。互いに譲らず、バーは徐々に上げられる。決着がついたのは、競技が始まって9時間後であり、10月後半の東京で夜遅くまで冷たい雨の中で熱く戦い、遂にハンセンの優勝が決まった。この様子もテレビで見ていたが、アナウンサーのうまい語りもあってか、確かに感動的なシーンであったことを覚えている。

 ミルズも米国人であったが、男子10000m走は圧倒的に南半球の国の選手が強いと言われていた。スタートしてトップ集団を走る選手は徐々に減り、最後は3人の選手に絞られ、最終の一周までもつれ込んだ。その最後の一周の最後、直線コースに入って、ミルズは爆発的なラストスパートをして、前を走る二人を抜き去って、優勝した。小生は、それをテレビで見たが、その様子よりも、奇蹟的な勝利というアナウンサーの声を聞いて感心し、妙に印象に残った次第だ。

 パッカーは、とにかくチャーミングで美しかった。決勝においてパッカーは首位でゴールインすると、そのままフィアンセのいる観客席まで走っていき、抱き合って喜びを表した。それを見ていた小生は日本の片田舎の純情な中学生であり、慎ましい日本人ならば差し控える西洋人のパフォーマンスに気恥ずかしさを感じた。その頃の日本の風俗はまだまだ西洋化されていなく、西洋人との接触も一般的には少なかったので、西洋人の習俗など大して知らなかったこともあろう。英国人のパッカーは白黒テレビで見ても、色白で美しい顔立ちをしていた印象がある。我々日本人男性は、その美しさに見惚れていたのではないか。その美しく優しい風貌をしたパッカーが激走して金メダルに輝くのだから、意外に見えるのも不思議ではない。