ノボの気儘な音楽トーク 21号: 吉田秀和の思い出 | 生き活きノボのブログ

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 3年前に亡くなった、日本を代表する音楽評論家の吉田秀和、その彼が担当した『音楽の楽しみ』から、ベートーヴェンについて語ったものを再構成し、今回、2時間ずつ、4回に分けて放送されました。実は、世界のピアニスト、モーツァルトについても再構成されて、すでに放送されたという。これらは聞き逃したものの、今回は、年金暮らしの身でもあり、メモを取りながら聞きました。久し振りに吉田の話を聞いて、吉田がまだ生きているような気がしました。多分ノボの頭の中では生きているのでしょう。

 そこで、ノボが知っている吉田の思い出を語りたくなり、このトークを書いています。どういうキッカケで吉田を知ったのか、今では全く覚えていませんが、43年前の学生の時には、吉田を知っており、彼の書き物を読んでいました。その頃、吉田秀和全集なるものが刊行されており、法外に高価でしたが、何冊か購入して読んだものです。その頃、ノボから見れば、すでに吉田は熟年の良い年になっていたと思います。その後、FM放送や音楽雑誌で吉田に接しましたが、次第に親密の度合いは減じました。

 ノボの娘がピアノを習うため、水戸にあった桐朋学園大学付属の“子供のための音楽教室”に通うようになり、教室の設立に吉田が係わっていたことを知りました。その後、水戸に水戸芸術館が設立され、吉田が館長になりました。吉田と小沢は切っても切れない仲、これは、身近でハイレベルの音楽が聴けると、大いに喜びました。案の定、小沢は音楽監督となり、水戸室内管弦楽団(MCO)を指揮しにたびたび来るようになり、その他錚々たる演奏家も来て演奏を披露しました。ほんとに、吉田様サマでした。

 吉田は年を取っても、豊かな白髪をなびかせ、細身でカクシャクとした姿で、MCOの演奏会には、ドイツ人の奥さんとともに顔を出されているのを、よく見かけました。あれは、20年くらい前であったか、小沢とMCOが初めてサントリーホールで演奏した時、吉田は2階の中央前列に座っていましたが、ノボは、その2つ後ろの席にいました。演奏が終わると、吉田は立ち上がり、ステージに向かって、大きく手を振っていたことをよく覚えています。

 2004年6月、準・メルクルが水戸芸術館に来てMCOを振りました。その時、ノボは娘と二人で、中央最前列で演奏を聞きましたが、演奏が終わって聴衆が退場するのを待っていると、中央後方に吉田がいた。そこで娘と二人で近づき、娘がサインを頼むと、快く応じてくれました。娘は慌ててビールの宣伝のあるページを差し出すと、ここはよそうよと言って、表紙を開けた次のページにサインされました。ノボは、その時、初めて吉田に、会釈し、挨拶しました。その時の姿、今でも脳裏に焼き付いていますね。

 あれは、2012年の5月、その1月に小沢が病身のためMCOの演奏会をキャンセルした時、騒然となった会場を鎮めた吉田が、あの元気な吉田が、亡くなったことを知って、ノボは愕然とし、淋しい気分になったものです。 (平成27年8月26日)