生き活きノボのブログ

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 夕立や雷雨もほとんどなく、毎日朝から太陽の熱射が照り付けている那珂市です。6月中旬頃から30℃超えの最高気温がほとんどですから、やかり異常気象か。

 そんな中、7月26日に開会したパリ五輪の熱戦が続き、いよいよ終局になろうとしています。ノボがテレビのライブ放送を観戦すると、日本選手の成績が思わしくなく、もっぱらニュースなどで競技結果を見ています。けれど、昨日の午後は、スポーツクライミングの男子ボルダー&リード競技をライブでテレビ観戦しました。結果は、日本の17歳の安楽宙斗選手が見事銀メダルを獲得しました。久しぶりのライブ観戦に、ノボは興奮しましたが、重圧の中で17歳の少年が立派に活躍するのですからね。

 スケボーやサーフィンなど、新しい競技が五輪に加わり、選手の競技年齢が下がったこともあるのでしょうが、孫と言ってもいい若い年代がメダルを獲得すると聞いて、何だか複雑な心境になります。明治生まれの祖父、大正生まれの父、平成生まれの娘達を持つノボとしては、令和の世に活躍する10歳代の選手が、何か遠い存在に感じるのです。勿論、若い世代が溌溂と活躍する様子は、見ていて新鮮で好ましいのです。

 ところで、若者が活躍する種目としてスケードボードのパークがありますが、日本選手のメダルラッシュに、大いに沸きました。特に男子が目立ちますが、実は女子も10歳代の開心那選手が銀メダルを取り、また金と銅メダルに輝いたオーストラリアとイギリスの選手は、実は日本人の母の子供なのですね。そういうことに無頓着なノボは、LINE仲間のTさんとMさんからの情報を得て、そう言えばと記憶が蘇りました。

 今回銅メダルを獲得したイギリスのスカイ・ブラウン選手は、東京大会でも銅メダルを取りました。その選手がノボの故郷・高鍋町の出身で、蚊口浜に住んでいると聞いて、3年前驚いたものです。勿論まだ10歳代の少女であり、米国で活躍しており、どうもサーファの父親が日本人女性と出会い結ばれて、スカイ選手が宮崎市で生まれたとか。実は、蚊口浜の“フルミナト”と呼ばれる一帯は、サーフィンするのに絶好な場所で、ノボの知らないうちに、それなりの施設も設けられました。しかしスケートボード施設など全くありません。彼女はノボの母校高鍋東中学校に在籍し、家族とともにフルミナトに住んでいると聞きました。高鍋に帰省した折、いつもの蚊口浜の散歩がてら、ブラウン家と思われる建物の前に行きましたが、誰もいませんでした。フルミナトは、60数年前ノボ達少年がその砂浜で野球をし、また小学校の遠足で親しんだ場所で、ある意味辺鄙な所でした。多分、スカイ選手の父親のサーフィンが縁で、蚊口浜に住んだのでしょうが、時代が変われば、また五輪選手の輩出も、地域社会とはかけ離れて、バラエティに富むことになるのだろうか?

 まあ、出身などには捉われず、選手達が活躍するのを見て、今宵も美味しいビールと焼酎のオンザロックを味わうことにしますか。 (令和6年8月10日)