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生き活きノボのブログ

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 ようやく昨日からの雨も上がり、曇り空が少し明るくなってきた那珂市です。この分ですと、午後の散歩が楽しめるかも知れません。

 さて、昨日は、イランがイスラエルをミサイル攻撃したニュースと宮崎空港で不発弾が爆発したという物騒なニュースがありました。2年7ヶ月まえにロシアによるウクライナ侵略が始まって、何だか世界中が戦争の成り行きを心配し、暗い雰囲気となりました。イスラエルがガザに進行し、そしてレバノンにも拡大し、今回のイランによる攻撃で、戦争のエスカレートが現実化しています。ノボだけでなく、誰もがこれらの戦禍が一刻も早く収まってほしいと願いますよね。爆弾やミサイルによって破壊された街がテレビで写し出されますが、平和が続いている日本にいると、何か遠い世界の出来事のようにも思え、現実感が弱いですよね。

 でも、そうでもありません。宮崎空港の滑走路の誘導路で、太平洋戦争中落とした250キロの不発弾が長い時を経て、突然爆発しました。その約2分前に、その近くを日航機が通っていたといいますから、万一タイミングが合っていれば、何が起きたか分かりません。不幸中の幸いだったと言えますが、なぜ不発弾は事前に見つからなかったのか、そして何で今頃になって突然爆発したのか、シロウトのノボには訳が分かりません。こう心配するのは、他人事とは思えないからです。

 ノボは、宮崎に帰省する時は、必ず宮崎空港を利用しています。昨年は12回、そして今年は既に4回利用しており、今後さらに利用することになっています。ノボが搭乗した飛行機が不運に遭遇しなくても、不発爆弾の突発的な爆発というような事態が起きれば、その影響を受けることになります。そんな目には遭いたくないものです。

 しかし、宮崎という片田舎にも、米軍は大量の爆弾を投下していたのですね。宮崎空港は以前は赤江飛行場と呼び、太平洋戦争中はそこから日本の飛行機が出撃しています。ですから、爆弾が雨あられのように落とされたのは理解できます。ノボの実家は宮崎のさらに片田舎の高鍋の海岸端にあります。そんな田舎の高鍋の隣り町に新田原(にゅーたばる)飛行場があり、ここからも日本の飛行機が出撃していました。そのため新田原飛行場は再三爆撃を受け、そのあおりで高鍋も攻撃されました。その爪痕はカンケイ倉庫と呼ばれた鉄筋コンクリートの倉庫の壁に痛々しく、銃弾の跡が残っていました。そして、何と、ノボの祖父が建てた二階建ての自慢の家にも、米軍の爆弾が直撃し、家は吹き飛んだそうです。その時、たまたまノボの親父が新田原から帰っており、空襲警報を聞いて近くの防空壕に入った途端の出来事だったそうです。ウクライナやガザの恐怖は、ノボの身近にもあったんですね。

 今夕も、美味しくお酒が飲めるのは、ノボの先祖たちの必死な生き様と幸運があったからで、それに感謝して飲むことにします。 (令和6年10月3日)