福光美術館②《石崎光瑶》 | ここあのブログ

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ログハウスに住みついて、ピアノを楽しんでいます。
ネタは音楽・美術・季節の話題を中心に様々です。

その前に、福光美術館とは・・

平成6年にオープンし、青森県出身で福光に疎開していた

版画家の棟方志功と、南砺市福光出身の日本画家の

石崎光瑶(こうよう)の作品をコレクションし、常設しています。

そして今回のルオーの版画展のような企画展もあります。

現代作家や受賞作品を無料鑑賞できるゾーンもあります。

 

山間部にあり、自然豊かです。ウグイスが鳴いています。

ホワイエはまるで温泉旅館のような雰囲気ですね。池に鯉もいましたうお座

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さて、石崎光瑶(1884・明治17-1947・昭和22)

幼いころより絵が得意で12歳で当時金沢に在住の山本光一に師事

その後、京都へ上がって19歳で竹内栖鳳に師が亡くなるまで師事

琳派四条円山派、二つの流れを汲む画家であった。

 

光瑶に流れ込む系譜を書き写してきましたメモ

 

琳派

俵屋宗達→尾形光琳→酒井抱一→山本素堂→山本光一石崎光瑶

 

四条円山派

円山応挙→松村月渓(呉春)→岡本豊彦→塩川文麟(ぶんりん)→

→幸野楳嶺(ばいれい)→竹内栖鳳(せいほう)→石崎光瑶

 

 

そもそも石崎光瑶という画家の存在を知ったのは

昨年、石川県美で見た《若冲と光瑶》展目

琳派、四条円山派の流れを汲み京都画壇にあった光瑶は、

28歳の時に見た若冲の動植綵絵に影響を受けたのでした。

 

絵は勿論、どの流派にも属さず、流行やしがらみにおもねず、

自由に独自の表現方法を生み出していった若冲の生き方

光瑶自身も方向性を見たのではないでしょうか。

 

光瑶も写生することを非常に重要ととらえ

多くのスケッチが残されているそうです。

花や鳥、実際作品には描かれない部分までをも、

精密に写生し、腕と感性をその観察力で磨いたようですグッ

 

 

 

41歳のとき、西福寺の〔仙人掌(さぼてん)群鶏図襖〕が

若冲のものであると発見し、その群鶏を模写したものを、

昨年金沢で見ることが出来ました。(若冲のものと同時展示)チョキ

 

仙人掌群鶏図(若冲)

 

私の目には、正直、どちらがどちら、と言われなければ、

区別がつかないほどその描写は細かく、若冲のそれ

そのもののように感じました爆笑

 

 

上:光瑶 下:若冲

こんな凄い画家がいたのか!

他にも福光美術館所蔵の大作が来ていて

ダイナミックで繊細なタッチの雪の絵に圧倒されたのでしたガーン

 

という経緯があり、福光美術館ではその光瑶が常設で

見られるということで、ルオー目当てでの来館でしたが

こちらも楽しみだったわけですチョキカラーパレット

 

 

 

今現在の常設展示の様子左差し クリック

 

絵の画像は小さいですが、館内の様子がわかります。

小10作品が並んでいます。

たった10作品?と思われるかもしれませんが

これくらいが記憶に残る鑑賞にはちょうどよい量です。

たくさんすぎると、感動も薄まってしまいますし^^;

 

富山湾の波が美しい《富山湾真景図》(明治31年)

白い卯の花とヤマユリ、豊かに流れる水の《筧》(大正3年)

 

薄墨の背景から浮かび上がる梅の枝と

真っ白の硬い蕾、開いた花、枝先のジョウビタキの

バランスが絶妙の最晩年の軸装、《寒梅》(昭和21年)

これは今までに見てきた梅の絵の中で、最高に品のある

素晴らしい絵でした。(画像がなく残念)笑い泣き

 

 

 

 

《筧》の半分のクリアファイル(新商品¥300)チョキ

つばめのツガイが仲睦まじいドキドキ

 

《麗日風鳥》(大正13年)の一部

若冲に傾倒、私淑していることが伺えます!

 

今ではすっかり光瑶ファンですカラーパレット乙女のトキメキ

 

次の常設の入れ替えは、7月グッうーん待ち遠しい♪