創価学会の人からもらった本が難しすぎて、私には意味不明だったけど、根本的な考えが私とは違いました。
日蓮宗が土台になっているようですが、この本は【どうすれば幸せになれるか?】というテーマで書かれていました。
つまり、【幸せになるためには信仰が必要】という意味で、【信仰しなければ幸せになれない】という意味にも読み取れます。
しかし私の考えでは、幸せとは「なる」ものじゃなくて「気づく」もの。
生まれて来れない命が無数にある中で、『生まれて来れただけでも天文学的な奇跡』なのです。
だから生まれた時点で全員が幸せなはずなのに、愚かな人ほど【生きていることが当たり前】だと思っているから、自分が幸せだという事実に気づけません。
【当たり前】の対義語は、【有ることが難しい=有難う=感謝】です。
この世は『毎日が有り難い奇跡の連続』なのに、何事も当たり前だと思ってしまえば、感謝の気持ちが持てなくなるのです。
生まれて来れた時点で奇跡の幸運に感謝しなければならないし、命を与えてくれた両親やご先祖様に感謝しなければなりません。
私は独身の一人暮らしで親友もいませんが、SNSで多くの人達と繋がっていますし、1人の時間が好きなので寂しいとも思いません。
もし孤独を感じることがあったら、『自分のことを無数のご先祖様がいつも見守ってくれている』と思えばとても心強いし、全く寂しくないです。
「幸せになりたい」と思っているうちは、自分が幸せであることに気づくことが出来ません。
幸せな人というのは「自分が生まれた時点からずっと幸せである」という事実に気づけた賢い人です。
つまり、この世に生まれて来れただけで天文学的な奇跡を得ている事実は変わらないので、自分がどうあがいても『不幸になること自体が不可能』なのです。
この世に不幸な人なんて一人も存在しませんので、私から言わせれば【幸せになるための信仰】なんてチャンチャラおかしい。
愚かな人ほど【自分が幸せである事実に気づいてないだけ】なのです。
多くの命が生まれて来れない事実があるにも関わらず、もし自分が不幸だと思っている人がいたら、それはただの勘違いです。
愚かな人ほどくだらない他人との比較で不幸だと勘違いしているだけで、この世に生まれて来れた私達は、『不幸になること自体が不可能』なのです。
