クリスティアーノ・ロナウド | ☆ファンタジスタ☆

クリスティアーノ・ロナウド



クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ
(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro、 1985年2月5日 - )

ポルトガル・マデイラ諸島出身の同国代表、マンチェスター・ユナイテッド所属のサッカー選手。ポジションはMF(SH)、FW(WG)

http://www.youtube.com/watch?v=Vo5w_wXzSOU

独特なリズムと、シザーズ、ラボーナなど巧みなフェイントを取り入れた高速ドリブルを駆使し、相手DFを混乱に落としいれる。

足の長さとスピードを最大限生かし通常のドリブラーが避ける「球を足から離す」といったことも多用する。

ややエゴイスティックな部分があり、球離れが悪いのでドリブル突破が得点に結びつきにくかったが、そのウィークポイント(弱点)も徐々に改善されつつある。

左右両方のサイドで同じレベルのプレイができる。(しかし不調の時は利き足ではない左足の精度が極端に悪い。)

ジュニーニョ・ペルナンブカーノ、アンドレア・ピルロのように揺れて落ちる無回転シュートを蹴ることが出来るが、現状で精度はあまり高くない。

ファウルを貰いに行く傾向が非常に強く、倒しにきた相手には逆らわずに倒されるタイプである。

シミュレーションと思われる行為が多いためアウェイではよくブーイングを受けている。

今シーズン(2006-07)は、得点力もアップし、現時点で得点ランキングは、1位のドログバに次ぎ2位という好位置にいる。

マーカーが勢いあまって吹っ飛ぶほどの、高速ドリブルからの突然停止は必見の妙技。

FKにも磨きをかけ、フルアム戦では左右に揺れる不思議な弾道でネットを揺らした。

目にも止まらぬスピードで七色のフェイントを連発し、敵の視線を揺さぶる。

それでいて、上半身は常に真っ直ぐ立てられ、敵の体に生じるわずかな隙を見逃さない。

華麗なドリブル突破はこうして達成される。

1996年、スポルティング・リスボンユースへ入団した。

2002年にリーグ戦デビューを果たし、クラブ史上最年少でゴールを決めた。

世代交代を進めているポルトガル代表にとってもロナウドへの期待は大きく、2003年8月20日のカザフスタン戦でデビューを果たした。

時を同じくして、移籍金1200万ポンド(約22億円)という10代の選手としては破格の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドへ移籍し、背番号もレアル・マドリードへ移籍したデビッド・ベッカムが付けていた7番に決まった。

また、EURO2004では初戦のギリシャ戦で代表初得点を決め、全試合に出場して準優勝に貢献した。

サッカーW杯ドイツ大会でも代表の主力メンバーとして活躍。

得意技の高速ドリブルを幾度となく繰り出して敵陣を切り裂いた。

ニックネームはよく涙を流すことから「クライベイビー」。

しかし、サッカーW杯ドイツ大会の準々決勝対イングランド戦で、チームメイトのリカルド・カルバーリョの局部を踏んだウェイン・ルーニーの行為を主審に訴え、ルーニーが退場になるとベンチに向かってウインクをしてみせた。

その写真が新聞に載ったため、次の対フランス戦ではボールに触るだけで猛烈なブーイングを観客から浴びる。

しかし全く動揺することなく普段どおりのプレーを見せるなど、図太い一面も持ち合わせている。

ゴールを決めたときに行うユニフォームを脱ぐパフォーマンスで、見事に鍛え上げられた上半身を披露し、ティーンエイジャーを中心に多くの女性たちを酔わせた(現在はゴールパフォーマンス時のストリップはFIFAによって原則禁止となっているので、イエローカード覚悟の時でなければ彼の肉体美を楽しむことは出来ない)。

ポルトガル代表では既にレギュラーを確保しており、ポルトガルの将来を担う若きスタープレイヤーである。

2007年2月6日に行われたブラジルとの親善試合では初のキャプテンを務めた。

甘いマスクに定評があり、ポルトガルだけでなく欧州の女性に爆発的な人気がある。

ロナウドのドリブルについて「フェイントがワンパターン」「数ステップは基本的に抜きにかかることがない」などの批判があることも事実。

しかし、彼は遊び心あるドリブルが自分の武器だと考えていてスタイルを変えるつもりはないらしい。

名前の由来は亡くなった父親が「ロナルド・レーガン元アメリカ大統領のようになってほしい」ということから名付けられた。

4人兄弟の末っ子で姉2人、兄1人がいる。

2番目の姉リリアナさんはポルトガルで歌手をしており「Ronalda」という芸名でCDデビューしている。

06年11、12月とプレミア2ヶ月連続月間MVP受賞。

ロビー・ファウラーとデニス・ベルカンプに続きプレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった。

彼のデビュー戦の後伝説の男ジョージ・ベストに「私の後継者になりうる」といわせたほどで、チーム側は彼の今後にかなりの期待を寄せている。



★所属チーム★

CDナシオナル(ポルトガル)1995年-1996年
スポルティング・リスボン(ポルトガル) 1996年-2002年
マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 2002年-