久しぶりかつ新年を迎えての更新ではありますが、昨年11月7日に父が他界したため、年頭のご挨拶を差し控えさせて頂いております。
と言いますか、昨年の夏、父が肺癌に罹っていることが判明してから亡くなるまで…、深く多様な思料を巡らすことが多く、ある意味人生観の一部の変更を余儀なくされたと言っても過言ではないと思っています。
今回は、その時思ったこと、感じたことを記録するため、いつか誰かの参考になれば…自分の気持ちに区切りをつけないとブログ更新もままならない~避けて通れない…との思いで書き記させて下さい。
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父の肺癌が見つかり、医師から「余命は、持って年内です」と言われのが昨年7月…
それからは、目まぐるしく父と母の環境がかわって行きました。
入院中の父と母のスナップ!
私には、横浜に家を持つ兄…しかも台湾に赴任中…がいるのですが、兄夫婦の提案もあって、父と母を横浜の家に移住させ、父は緩和ケア病院へ入院させることとなったのですが…
私も札幌に家を持っているため、父の家は手放すことに。
さいたま市(旧大宮市)出身の父。
若いころの父は私にそっくり
実家を飛び出し、慣れない土地、北海道に来て、苦節様々なことがある中、自分の城である持ち家をもつ苦労、そしてその喜びはとても大きかったでろうことは想像に難しくありません。
正丸峠~
兄も私もそんな父の家を引き継げなかったことが父に申し訳なく思いましたが、父は「家として十分役割を果たした」と言って手放すことを決意してくれました。
実家前で最後の家族写真
他にも車や趣味の釣り竿等々も次々手放す父。
しかも父は「しゅうや○○ちゃん(私の妻)が使いなさい」とニコニコと言ってきたのです。
私は、「あぁ、もう執着心がなくなったのかなぁ…」と思っていましたが…
母も若い!
父母が横浜に移住したのが9月16日。
それからは、妻と私が旭川の実家の後片付けを続けたのですが…、家一軒まるまる捨てていったと言っても過言ではなく、多くの家財・家電等が残されているのです。
旭川で最後の見送りする虎太郎
父も虎太郎が大好きでした
つまり…夫婦で息子夫婦の家に引っ越すって事は、今まで築き上げた物や蓄えた物を投げ捨て、友人知人との別れを伴うって事に気がつくのにそう時間は掛かりませんでした。
そう、父も母も覚悟を決めて家を手放したのです。
そして横浜の兄の家に移り住んで3週間で血液の数値が悪化、肺からの出血が見つかり緩和ケア病院へ入院。
10月下旬、妻と一緒にお見舞いに行ったのが父との最後となりました。
別れ際に父を抱きしめたとき巡った色々な思い、頬を伝った一筋の涙の感触は今も鮮明に思い出します。
そして葬儀が終わり、50日祭も無事終了しひと息がついた次第。
余談ですが、父がかわいがっていた猫の富之介、通称トムが父が亡くなったちょうど1ヶ月後に虹の橋を渡りました。
トム、ありがとう!
元々私が飼っていた猫を父母に引き取ってもらったのですが、結果として19歳10ヶ月で亡くなりました。
実家で過ごした時間で言えば、兄は15年、私は18年、そしてトムが19年。
トムは、よく出来た我が家の三男坊でした。
トムにも感謝を伝え、神棚にまつらせて頂きました。
まぁ、他にも色々あったのですが、母の名誉にも関わることなので、機会があれば話したいと思います。
最後に最近の虎太郎の姿など…
Xmas version2016
テレビで拝む初日の出 ダイヤモンド富士!
虎太郎も元気です。
次回からまた元気にブログを再開したいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。