昼間は連合会といたしまして、お囃子の体験ツアーのお手伝い。

その後、品川神社の天王祭へ見学。
品川は天王祭が二つありまして、今回はの天王祭と呼ばれる品川神社。
の天王祭は荏原神社と呼ばれる神社で、祭礼日は同日だったり、ずれていたり。
両社の仲はそれ程良くないとも聞きます。
天皇が定めたに「品川貴舟社」の名があり、これをどちらの神社であるかはっっきりしないままに両社が名乗っているそうな。
両社ともそれだけ由緒のある神社でもあるわけです。片方は徳川で片方は天皇の肩書きが付いている様ですん。
荏原神社は氏子とのもめ事で神輿に付ける御神面が出なかったり、出たり。
神社と氏子のもめ事ってのは良く聞く話で、八王子でもあっちやこっちゃで聞かれ。
商店街はデデンデケデンの品川拍子が響きます。

神輿に大拍子が付き、城南担ぎ。
城南方面は底抜け屋台が見られないのも品川拍子がその役割を担っているからでしょうか。

龍神の山車
江戸型山車。龍神不在で赤シャグマに狐面がかけられています。
囃子はにんばなのは分かりますが、地の囃子ではなさそうです。
古写真を見ているよう。
沼部囃子とあります。ざっくり調べると沼部囃子は大田区は田園調布あたりの囃子を指すようです。
目黒の流れに相模の流れが合わさったという事らしい。
いわねえ氏の山車・だんじり悉皆調査によると嘉永4年ということなので、かなり古いものらしい。
ちなみに翌日許可を取らずに巡行して怒られたご様子。

ただ、山車上の囃子は恐らく沼部囃子でない気がする・・・。山車備え付けの提灯なのではなかろうか。

山車前の写真。太鼓の配置が違う・・・;

続いて、鈴の山車。昔の龍神の山車の台輪を用いて作られた山車だそうで・・・あれ?

翁の山車
もとは三層の江戸型山車であったようですが、昭和22年に諫鼓の山車とともに修復し一台に纏めてしまったそうな。
古写真と照らし合わせると土台は丸々、諫鼓の台輪を使っている様子。

諫鼓の山車は雛型のみ現存。しかし、この雛型も古写真と比べると・・・。

獅子の山車もありましたが、こちらも獅子頭と額のみ現存。

お囃子はヅクヅク囃子。城南囃子といったりもします。
目黒、碑文谷、池上、大井、等々力、羽田、大森、雪が谷の城南囃子。
去年見た六郷あたりもこの流れではないかと。
細かく言えばこれも深すぎて、適当なことをいえませんが、
八王子の目黒囃子もヅクヅク囃子の流れを引いているのではという説もあります。
去年のひとっぱやしの様子。今年の様子はそのうちに・・・。

品川神社。左手には富士塚がそびえたちます。


明日担がれる中神輿。大神輿と徳川家寄進の葵の神輿は宝物殿に納められています。

なんだか説明というか概論だらけの尻すぼみ記事になってしまいました。私的雑感。

翌日、神楽見物に出かけました。
品川の社中さんに加え、助っ人。神楽師の世界では出方で交流のある川崎方面の社中さんも混じえているご様子。