2014/4/11・12

最近スパム書き込みが多いですね。言ったところで機械書き込みですから変わらないですが。
少し前みたいな、あからさまな書き込みは運営側の対策でなくなりましたが、
最近は「いつも見ています」とか「記事を拝見しました」とか当たり障り無いことを書いて
最後には「私のブログも見にきてください」と来るわけです。定型文を機械であっちこっちに書き込みます。
アフィリエイトなのかランキングでの注目集めなのか、通販や美容関係の商業ブログに飛びます。
基本的にコメントは削除しない様にしてますが、宣伝スパムはね。。。
一昔前のワンクリやフィッシングの様な実害はありませんが、あまりしつこいようなら承認制にでもします。


与瀬神社の例大祭です。このブログでも何度か訪問させて頂いております。
金曜日と土曜日のお祭りで山車が出るのは金曜日の宵宮です。
甲州街道沿いの参道脇の山車倉庫から日も暮れた19時過ぎから引きまわします。

この山車は千木良の古い山車と同様に明治25年頃に八王子から当地に渡ったといいます。

単層唐破風ですが一本柱の遺構が見えません。屋根にはポッカリと四角い穴が開いてまして人形が載せられてた跡だそうです。

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今はブルーシートが張られてますので数年前の画像です。車輪は車幅一杯で舞台は広めです。
かつて存在した彫刻と人形は盗難に遭い現存しないとのこと。うーん…残念。



相模湖駅前に引き出しまして、しばし居囃子です。子ども達の披露の場でもあります。
流派は目黒流で八王子の北野から伝わった囃子です。

神社に引き返したらそのまま倉庫に仕舞われてしまうので、年に一回、2時間半程度しかこの山車は見られません…(^^;
いつか明るい時にじっくり見てみたいところです。
宵宮といえど行事はこの引き回しだけで、倉庫に納まると何事もなかったように静かです。

宵宮だけのつもりでしたが、宵宮で見そびれた方が居りまして、翌日に再訪。

例大祭当日は山車は出ませんが、神輿が出ます。神社の周りには露店も出まして前日と違い賑やかです。
4月の爽やかな天気の中での祭礼というのも魅力。
与瀬神社五十段の急階段を降るというのがこの祭りの見所です。
残念ながらもう降り終わり甲州街道を渡御してました。稚児行列も加わり立派な神幸祭です。


後ろにトラックが着きましてお囃子が奏でられます。
駅前で休憩。写真の神主さんは神楽師でもありまして、この方が目黒囃子を与瀬に持ち込みました。
元横も遠くはありますが、その流れを汲んでいます。


神輿も立派です。

さて、与瀬神社に向かいます。与瀬神社の参道は高速道路で分断されてまして、橋が架けてあります。
前述の五十段は別ですが、この階段もなかなかの急勾配。勿論、神輿はこの階段も降ります。
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随神門を潜ると五十段があります。一応、女坂もありますが。
ヒ登った先には与瀬神社拝殿があります。

かなり立派な造りで境内には摂末社の他に絵馬殿が設けられています。
絵馬殿も備わった神社はこの辺では珍しいです。拝殿と本殿は明治37年の火災で焼失し大正から戦後にかけて再建したものだそうです。

絵馬殿にはその時の焦げ跡が残ります。
かつては虫封じの与瀬権現としてかなりの信仰を集めていたようです。





境内の神楽殿では里神楽が奉納されています。
一応、社中は名乗らず有志の演奏。主には江戸川方面の社中さん。
八幡山が演じられていました。女性の神宮功后で力強さは減りますが、女性らしい品がありましたね。
宿禰は石を探す辺りがややコミカルでした。


女坂の途中から相模湖を一望できます。


ポスター。これが見せ場です。はい。


相模湖の湖岸に小さく立つ祠があります。御供岩の祠です。
相模湖を造営する際に現在地に場所を移りました。

謂われについてはザックリ以下の通り。

昔、ヤヨとキヨという若者が相模川で漁をしていると網に御神体がかかる。
村の中段に祠を造り祀ると里が災いに見舞われた。
不浄の地に祀った為だと与瀬神社に安置したところ、災いも止む。
ヤヨとキヨの子孫は現在も精進衆として祭礼に奉仕している。
この御供岩は御神体をのせた岩である。


神輿は氏子地区を渡御したのち、この御供岩の前で神事を行い神社へ引き返す。

広場には廃業したボート乗り場が残ります。

神輿の午を積んだトラックが渋滞にはまり来ません。。。10分くらい担いでました;


神輿、囃子方が集合し。神事と休憩の後に神社へと引き返し、すべての行事が終了します。