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囃 見聞録。
東京都郷土芸能まつりが行われました。
数年前まで東京都祭囃子コンクールを主催していた東京都郷土芸能協会さん主催。

郷土芸能といってもほとんど祭囃子。東京都といっても参加しているのは三多摩の団体。

囃 見聞録。

舞踊連盟さんの踊りや鉦はり念仏、こなや踊りなども見れました。


[小平市]小平市鈴木ばやし保存会さん

囃 見聞録。 囃 見聞録。
以前から気にはなっていましたが今回が初見です。江戸弘化4年(1847)から伝わる流儀。
江戸田淵(現阿佐ヶ谷)から伝習。流派は目黒系船橋流。
目黒系となっていますが、笛の調子は船橋流の流れが強いように思います。
“落とし”の部分から絡みながら上がっていく「テン」「トトン」というテンポが面白いです。
絡みが多くやや複雑に聴こえましたが、基本的にはっきりとした強弱がなく淡々としたお座敷囃子でした。


船橋流は目黒流を基に世田谷の千歳船橋の神楽師 内海軍次郎によって考案された流派。
多摩地区で目黒流、重松流、神田流と共に多い流派。
ちなみに、有名な小金井市の目黒流 貫井囃子保存会さんも(絶える以前)内海軍次郎によって伝承されたそう。
目黒流と船橋流は色々と混ざり合っているので分かりにくいところです。


[あきる野市]上町囃子連さん
囃 見聞録。 囃 見聞録。
流派は神田流。連合会でお世話になっております団体さん。毎回の舞台構成に驚かされます。
猛練習が無くてはできませんね(^^;

大舞台で動きを合わせる踊りはつい不安に駆られて顔を見合わせちゃったりするのですが、

最後のもどきとおかめの動きはピタリとあっていましてお見事です。

囃 見聞録。
いちょうホールでご購入頂きました衣装も見ることができました。
大切に使っていただいているようで、ありがとうございます。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[あきる野市]伊奈本町囃子保存会さん
流派は重松流。昨年より八王子の八木町の山車でお囃子を担当されています。
平井より伝習した重松囃子。



囃 見聞録。 囃 見聞録。

[あきる野市]小和田はやし連さん
流派は神田流。留原囃子保存会より伝習した神田流。



囃 見聞録。 囃 見聞録。

[あきる野市]野辺囃子神楽存会さん

囃子と神楽の両方を継承する団体さん。神楽は同市二宮の古谷家(参照)の系統で神代神楽。
去年に同じく三番叟。
囃 見聞録。
筋は里神楽の禊三筒に同じですが奉幣の舞の中筒男神をヤマトタケルと呼び、面の兼用からと推測されます。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[昭島市]拝島志茂町目黒囃子保存会さん
発祥ははっきりとしませんが目黒流でも古いものだと思います。
古い目黒流の例では立川市 柴一はやし連さん、青梅市 友田郷土芸能保存会、日野市 東光寺囃子連などがあります。
八王子や小金井、府中の目黒とは大きく異なります。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[あきる野市]三内囃子会さん
伊奈地区の正一位岩走神社おひざ元にあたります。伊奈方面で珍しい神田流。
伊奈、留原、星竹、桧原村の経験者により昭和60年に発足。
かんかんのうの踊りも見れました。地域によってかんかんのうの踊りも異なります。比較してみても面白いかもしれません。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[稲城市]大丸囃子保存会さん
昭和58年に小金井市 貫井囃子保存会より目黒囃子を習得。



囃 見聞録。 囃 見聞録。

囃 見聞録。

[青梅市]西分町囃子連さん
流派は神田(千ヶ瀬)流。外道の打杖を組み合わせると鳥居に。四丁目の鏡踊りが凄いです。
青梅の有名な舞い方の師匠が顧問をしていただけあって舞は洗練されています。



囃 見聞録。 囃 見聞録。
囃 見聞録。

[青梅市]勝沼囃子会さん
流派は神田(黒澤)流。里神楽の要素も取り入れた演出。
最後の暗転後までの演出には驚きました。



囃 見聞録。 囃 見聞録。

[福生市]福生市・熊川子供囃子連さん
流派は重松流。昭和62年発足。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[昭島市]拝島加美町囃子保存会さん
流派は重松流。以前、ぶらり途中下車でも紹介された団体さん。

囃 見聞録。

面白いひょっとこ。額と小さな目がア太郎のでこっぱちみたいです。



囃 見聞録。 囃 見聞録。

[昭島市]上川原町囃子保存会さん
昭和29年に重松囃子を習得。それ以前は目黒囃子が存在したようです。



囃 見聞録。 囃 見聞録。
囃 見聞録。

[福生市]牛濱重松囃子保存会さん
流派は重松流。田力雄、天狐、河童と面白い舞が見れました。
テンポは若干早めの二宮系重松囃子です。


囃 見聞録。 囃 見聞録。

[あきる野市]留原囃子保存会さん
流派は神田流。明治20年引田囃子保存会より伝授。
もどきが農作業の合間に酒盛りを開いていると狐が荒らしに現れる。
外道が退治するという段物仕立てでした。