ずっと前に書いた記事のそれと正反対のタイトルです。

 

昨日、何の漫画にむかついたか追記したので、稲垣えみ子さんの本のどこに違和感を抱いてしまったかも書いてみます。

まず、『もうレシピ本はいらない!人類を救う最強の食卓』と『寂しい生活』で、実は最初からこれは違うなと思った部分から。

食事におそらく塩分過多という概念がない。必ず漬け物を作って食べているそうですが、量にもよるけれど、漬け物は塩分過多と高血圧の敵です。私は一方で漬け物の乳酸菌のことは知らなかったのでそれは勉強になりましたが、読者としては、できればそれと背中合わせの危険にも思いを馳せてほしいなぁと思いました。

トイレに行く時にも電気を使わない、自分が用を足しているところを自分で見る必要はないと考えているそうですが、排泄物の様子を見ることが大事な健康チェックになることをご存知ないのだなと思いました。

でも、これらのことは些細なこと、誰にでも知らないことや欠けていることはあるさ、と思って、その時にこのブログで稲垣さんを讃える記事を書いたのですが、私の違和感が膨らんでしまったのが、『一人飲みで生きていく』、『老後とピアノ』、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』でした。

なぜそこまで、他人に気に入られようとするのでしょうか?そしてこちらがきちんとお金を支払っている相手にまで?

特に『一人飲みで生きていく』を読んだ時に、どっと疲れました。何で酒を自分の飲みたい形で提供してと店に頼んじゃ駄目なの?席に座ってから一人の世界に入っちゃいけないの?店の人達とコミュニケーションを取るのって義務だったの?逆に店はどうして一人の世界に入って飲んだり食べたりしたい客の気持ちを尊重してくれないの?単純にお腹が空いたから居酒屋に入って食べて飲んで出て来ちゃ駄目なの?

それから、お金を支払う相手を応援する気持ちでお金を払うべきという考えにも疲れました。


一言でまとめると、「面倒臭い・・・・・・」と思いました。それからもう1つ、「お金があるんだなぁ・・・・・・」とも。

 

そしてこの後、稲垣さんが、自分の著作を図書館で借りて読んだ人にショックを受けたという話を知ってしまいました。つまり、本を書いた自分に敬意を表して、その人は本を買うべきだったということですね。

 

それなら、稲垣さんがまだ使える家電を捨てたのも、広い意味では図書館で本を借りる行為と同じなのでは?家電を作った人にも、もしかしたら稲垣さんが把握し得なかった、作り手の思いが
あったかもしれないではありませんか。

 

それに、そもそも図書館で本を借りるのは、全く普通の行為で、非難される謂れはありません。

 

この違和感は、そう、飢えを知らない人が聞きかじった知識だけで飢えについて論じている文章を読んでいるような感覚です。泣きたい夜の甘味処に感じたのも、これと同じ種類の雰囲気です。


ということで、新たな出会いを求めて、山崎寿人という人の節約の本をちびちびと読んでいるところであります。

何で最後まで「この本は良い」と思い続けられないんだろうなぁ、私は・・・・・・。