先日、とある重鎮の仙台市議さんとお話ししたとき頂いたひとこと。
「正義を語っても当選しない。残念ながらそれが選挙というものだ」
つまりは、誰に投票するかの判断基準のベースは、
「自分の生活がどれだけよくなるか」に尽きるのだということです。
いいか悪いかは別として、人間というのは「他者より優れている」ことに本能的な快感を覚えるものだとは思います。
社会全体が上向くのは望ましい。
しかし、その中でも自分が一層トクをするならそれがベスト。
それが、これまでの「利権」が絡む政治です。
特定の業界・団体に支援を受ける代わりに、そこが利益を得られるように便宜を図る。
よって、たとえ正義や大義に反したとしても、その票を離すような行動は取ることができません。
しかし、時代は変わりつつあります。
これまでのように、「社長が言ったからその人に投票しなきゃ」、みたいな時代ではなくなってきています。
もちろん、すごく魅力的な人間性の社長さんが推す人なら、みんな一票を投じるでしょうけれど。
個人の考えというものが担保されやすい時代になったと思います。
加えて、少しずつですが、社会全体の利益を考える土壌もできつつある気がします。
それは図らずも経験してしまった震災の影響も大きいはずです。
それならば、この震災を単なる悲劇で終わらせないためにも、
「正義を唱える者が勝利する選挙」を実現させなければならない。
そのためには、
政治が国民の生活にとても密着したものである、
政治を無視しては生活できない、
とみんなに思ってもらえるような政治を実現するのが先決。
正義を唱える政治家はいらない、なんていわれる世の中は、もう時代遅れだと思います。