これは、今では考えられないと思いますが、


女流王将戦のタイトル戦のとき。
仲良しだったけど、対戦相手は
現在も活躍してる中井広恵さんだったの。


ま、普段仲良くしてるけど
ボクシングの対戦相手と前日いっしょに過ごすって、
いえば将棋を知らない人にもわかりやすいかしら。


初戦のタイトルマッチ、一局目の前日、
私は高校一年生、広恵ちゃんは中学生。


甘くみられたのか、二人とも仲がいいからって
用意されたのが、ツインで二人一緒の部屋。


水泳のようにタイムを競う合うんじゃなくて、
一対一の勝負なのにね。

ダブルベットじゃなくてよかった、ぐらいしか記憶にないけどーー


今から考えると、摩訶不思議な対戦でした。




小学校卒業してすぐ、内弟子になって。当時は博多弁だったし。


母ぐらいの年代の師匠の奥様に
「おばちゃん」ってつい言ったら
「これからは奥さんってよびなさいよ」
と、言われてそのときはびっくり。


東京の人が電車で僕がさぁ、とか、キミがさぁ、
とか呼んでるのも不思議でたまらなかったぐらいですから。


博多というか福岡では、あんた、俺、おまえ、が当たり前だったから。


今になって。確かに「奥様」と呼ぶのが正しかったな、と思いますが。

かなりなカルチャーショックを受けたのは覚えてます。


お味噌汁も赤だしだったし、
師匠は納豆に卵混ぜて食べられるのが大好きだったようですが。


お店のうどんの汁は醤油につかってるみたいで。
ま、一年ぐらいで慣れましたけどねっ。



東京弁?に慣れる間にひとりタロットしたり、
友達と交換日記しながら漫画かいたり、セリフ考えてたりしてました。


あ。将棋の内弟子でしたので、
夜、駒をみがいたら自由時間でしたので。



ふふふっ。



なぜかいまは将棋が本業にならず、タロットや小説書いてますが。




その内弟子当時、タロット占いと自分のカンで
「奥さん、三十前には将棋やめて、でも強くなって復帰するつもりです」って。
私も子供だったから正直に話したら、


数日後、師匠から呼ばれて
「キミはいったいなにをかんがえてるんだっ」って
怒られた記憶があります。


そりゃ、そうですよねー。


内弟子になってそんなこと言う子いないもの。


結果は半分当たりで負けたからはずれ、でしたけど。


ま、三十年先のタロットじゃ
人生の転機もあるから、全部当たりっていうわけにはいきませんが。


当時はまだ、十三歳だったから。

よく考えれば、こんないい加減な弟子は初めてみたんじゃないかしらっ。



師匠、奥様すみませんでした。



ちなみに将棋ファンの人はよくわかるとおもいますが、
同じときに内弟子だった先崎学くん。


とりあえず当時は姉でしだったので、先崎と呼び捨てにしちゃいますが、

練習試合で先崎に負けてから、こんな才能のある子には勝てない、
子供ながらもそう思ったのは事実です。


頭良かったんだよねー、
小学校四年生で株の相場理解してるんだもん。


私はコミック雑誌「花とゆめ」の
「ガラスの仮面」や「スケバン刑事」が好きで、普通の子だったもの。


子供のころから、私って深く考えない性格だったの。



そうそう最近の対局で羽生くん勝ったみたいでおめでとうっ。



私は奨励会ってプロの育成みたいなところに入ってたんだけど、
その頃の後輩に可愛い男の子がいたのが羽生くん。

簡単に負けましたけどねっ。



うーん、
直子おばちゃんの昔話の自慢は、それぐらいかしらっ。



おばぁちゃんになったら、
もっと自慢しそうなところが我ながら怖いーーっ。