うちの会社では半年に一回、上司との面談がある。

勤務評価と昇給査定の説明なのだが、親抜きの家庭訪問みたいな感じだ。
素面で腹を割って話す、貴重な機会である。

さて、社会人となってめでたく丸一年たった私は、社会にでて多少は角が取れたかもしれないが、
今でも、十代のように生意気でつんつんしている。
協調は苦手だし、
自分は大事だし、
斜に構えてるし。

「もっと丸くなんないといけないと思う」
なんて話をしたら、こんなことを言われた。

「無理して丸くなんなくてもいいじゃないか」
まず個性を大事にしてほしい、という。
私は幸せ者である。

その次に、言われたのが、

「丸く尖ったらもっといいよね」

丸く、尖る。

それはどういうことか。
帰り道でイメージしてみた。

はじめは円錐を想起した。
が、なんだかそっけないし、よく見ると鋭利だ。

次はギャンのビームサーベルだ。
が、攻撃力は強くても、形は弱っちい。

結論は「鉛筆の先」だ。

図工や書写の時間、絵を描く前に言われていた理想的な鉛筆の先。

鉛筆削りで削りたての鉛筆は途徹もなく尖っている。
その尖った鉛筆でぐるぐる円を描いて先を丸くする。
誰しも一度はやったことがあるのではないかと思う。

先端が丸いから、均一な線を滑らかに書くことができる。

これが自分にとってひとつの正解だと思えた。

研ぐことがすべてじゃない。
磨きをかけても物足りない。

擦り減らすのも身になり、価値となるのだろう。

そして何より、あの先の丸い鉛筆の気持ちよさといったら!

ぐるぐるぐるぐる書き減らす。
短くなったら鉛筆削る。
握れないほど短くなるまでがんばろうと思えた。

そして時には尖って、凶器のように刺さりに行くことも忘れずに。

「社会人になって良かったことは、新刊本を躊躇なく買えること。」


「社会人になって悪かったことは、読みたい本をすぐ読めないこと。」




というのはぼくの私見だが、まじりっ気なしの実感だ。




先週、なんとなく本屋に行ったら、西尾維新の「講談社ノベルス」の新刊が出てたので、迷わず買った。


『少女不十分』


帯には「原点回帰にして新境地」とあるが、「原点回帰」に惹かれたのだった。




内容は、


作家志望の青年が作家になるきっかけとなった、10年前の出来事を語り下ろす、


というものだ。




読者は、物語の語り手である「僕」を作者の虚構化だとみなす。


そこで、西尾維新も来年でデビュー10周年か、と気づく。


ぼくも、そんなに年をとったのか、と思う。




ぼくが西尾維新の原点、デビュー作であった『クビキリサイクル』を読んだのは、


2003年の5月ごろで、まだ中学3年だった。


図書館で背表紙を見た瞬間、




「読まないと後悔する」




そう感じた。




読み終えて、心と頭を体ごと持って行かれた気分だった。


こんな衝撃は以前も以後もないし、今後の一生でまたあるかもわからない。




当時、戯言シリーズは『サイコロジカル』まで刊行されていた。


ファウストが創刊し、『ヒトクイマジカル』が出る少し前のことだ。




戯言シリーズから講談社ノベルス、メフィスト賞、新本格へ流れたぼくは高校生になり、


高校3年で戯言シリーズは完結する。


ファウストもなかなか出なくなる。




大学生になり、上京する。


アニメにもなった西尾維新の講談社BOXの作品群は、ミステリ色が弱く、肌に合わなかった。


横目で動向をにらみながら、あっという間に大学を卒業し、


今年、運よく就職できた。




就職先は中学で没頭し、高校で投げ捨てた、とあるスポーツの関連企業だ。


それとは別の夢を掲げて大学に行き、旗を降ろせないまま働いている。


その夢には西尾維新が影響しているところも強い。






そろそろ真面目に本の話をしよう。




この約十年でぼくも成長したように、作者も成長した。


厳密には「作者」ではなく、「話者」だ。




『クビキリサイクル』の語り手は戯言遣いの「ぼく」


『少女不十分』の語り手は作家の「僕」




戯言遣いは20歳(たしか)で、作家は30歳(たぶん)だ。


そして約十年で「ぼく」は「僕」になった。




戯言遣いの「ぼく」は、背伸びし、悪あがきするも、無力感を呟いているだけに近い。




だが、作家の「僕」は読者に積極的に語りかける。




「語りかけ」が、『少女不十分』の中核だ。


(このへんをきちんと語ろうとすると、ネタばれになるので割愛するが)


語りかける相手が明確に見えていることが、


作者の約十年の変化であることは間違いないだろう。




もう一つ、


『少女不十分』の「悲劇(事件)」と「物語」の関係は、


震災(あるいは震災以降)へのアンサーである。




作者も読者も時代も変わった。


けれど、変わらない縁があるのだろう。




うまくまとまんなかったけど、最後にこれだけは言っておこうか。




『少女不十分』


今だからこそ読むことをおすすめします。




少女不十分 (講談社ノベルス)/西尾 維新

¥882
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「やじろべえ」


ベタなものに憧れる。


生き方やイベントや、テレビで見るようなベタさに。

ベタな家族、

ベタな友人、

ベタな恋愛、

ベタな生活、

……


でも人とは違う人間でありたいと思いつづけている。


同じ事に憧れ、

違う事に憧れ。


それから、

絵に描いたようなベタな生き方ができている人なんてどこにもいないことを知り始めた。

絵に描いたような人と違う生き方をしている人ははじめから違っていたことを知った。


どちらでもない僕は

かすかに重い銅メダルを首にぶら下げ、

駅にゆっくり歩いてゆく。