神戸空港の是非を問う住民投票運動をはじめ、神戸市の環境問題や議会改革、情報公開をめぐる幅広い住民運動を支えた元大阪工業大助教授の中田作成(なかた・なりしげ)氏が26日午前9時15分、老衰のため神戸市内の福祉施設で死去した。77歳。(28日、神戸新聞)
神戸新聞によると―
神戸新交通六甲アイランド線建設をきっかけに1985年、「住吉川の環境を守る会」を結成。法廷で景観保護を提起して以来、環境問題や議会改革など幅広い市民運動に携わった。
神戸空港の建設が次第に具体化すると、環境問題や大規模公共工事に反対する立場から批判を強め、90年に「神戸空港を考える会」を立ち上げ、事務局長に就任した。
阪神・淡路大震災後の98年には、神戸空港建設の是非を問う住民投票の実施を求める署名運動の呼び掛け人の一人になった。「空港より生活再建」を訴えて約30万人分を集め、条例制定を直接請求したが、神戸市会は否決した。
2000年には「市長リコール・神戸の会」を結成。「空港建設に異議を唱える最後の手段」として、市長の解職を求め1カ月で約8万7千人の署名を集めたが、法定数に届かなかった。
― 体調が悪いことはお聞きしていましたが、訃報に接し、言葉もありません。
空港推進派からは、反対のための反対をする“プロ市民”などと揶揄されましたが、いっかんして市民の立場から神戸市政のあり方に異議を唱えました。
中田さんの言葉で一番印象に残っているのは、「沈黙は承認の印」です。
いくら選挙で選ばれた市長や市会議員でも、全てを“委任”しているわけではない、市民にとっておかしいことには声をあげるべきだと話しておられました。
こういう市民が減ってしまったことは、まったく残念です。
中田さんのご冥福をお祈りします。
合掌。