『愛と笑いの福の神

   まさみちです』

愛と笑いの福の神のような存在でありたいっていう思いがね、心底から湧いてくるもんだからね、

 

『愛と笑いの福の神』って言ってるけどね、

 

おっちょこちょいで、子どもっぽい

 

愉快な『愛と笑いの福の神』なのです…あは。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


あのね、

ぼくの人生に対する考え方に

強く影響があった言葉があるの。


それがね

秀吉さんの辞世の句なんだ。


「露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」


天下人として栄華を極めた太閤秀吉さんでさえ

自分は露のように消えようとしているって感じてる…

浪速の栄華は夢の中で見ている夢のようだった…

なんて感じたんだなぁ。


ぼくはね

この秀吉さんの辞世の句を知った時にね

ものすごく衝撃を受けたんだ。


その頃のぼくってまだ30代の半ばでね

自己顕示欲バリバリで

あの小学校には早川ありって言われたいという

名誉欲もすっごくあった時期なんだ。


俺が俺がっていう思いが強い

嫌なヤツって面が多々あったの。


よく笑って明るく楽しいっていう面と

両面がはっきりしていて

ギラギラした成長欲もでっかい

そんな人間だったんだ。


利己的に生きていた面が多かったんだ。


そういう時に

この秀吉さんの辞世の句と出会ったの。


ぼくみたいに

中途半端に元氣で

中途半端に親切で

中途半端に思いやりがあって

中途半端に努力しているような人間と違い

思いっきり自分の人生を歩いた成功者が

最後には

なんと儚く消えようとしている…。


そうなのか?


大成功者でさえも

あの栄華は夢だった…って感じるのか?



ぼくはね、

秀吉さんを尊敬しているけどね、


最後に

そんな思いで人生を閉じるのは嫌だ〜!!

って思ったんだ。


ぼくは

死ぬ時には

大満足して感謝して死にたいって

そう思ったんだ。


栄華を極めてもダメならどうする?

まさみちはどんな生き方をする?

そんなことを考えるようになったんだ。


秀吉さんが極めた栄華と違う

早川正道が極めたい栄華って何だろう。


ぼくって

あれもこれもって無理だから…

ぼくはもう内面の一点に絞ってがんばろうって思ったんだ。


ぼくは、

内面の栄華を極めたいって、

そう思ったんだ。


心の豊かさということに目を向けたらね

子どもが変なことをやったり

問題を起こしたり

宿題をしなかったり

忘れ物が多かったりしても

それってどうでもいいことのように

思うようになってきたんだ。


そんなことより

温かく優しく思いやりの心が

ものすごく大事になってきたんだ。



そうしたらね…

目の前にいる子どもたちが

なんかね

可愛くって愛おしくって

胸がキュンって熱くなってくるようになったんだ。


子どもへの愛が大きくなったんだ。

 

 

ぼくみたいに自分さえ良ければっていう

 

そんな我欲が強い人間が

 

以前よりはずっと

 

愛が大きな人間になってこれたのは

 

秀吉さんのおかげだなぁって思っている。

 

 

機会を見て

 

秀吉さんにお礼に行きたいなぁって

 

そう思っている。


今日もあなたを大応援してますね〜✌︎('ω'✌︎ )

 

 

 まさみち




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