『愛と笑いの福の神

   まさみちです』

愛と笑いの福の神のような存在でありたいっていう思いがね、心底から湧いてくるもんだからね、

 

『愛と笑いの福の神』って言ってるけどね、

 

おっちょこちょいで、子どもっぽい

 

愉快な『愛と笑いの福の神』なのです…あは。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜


あのね、

よくね、

『みんなちがって、みんないい』

っていう金子みすゞさんの作品から引用して

言ってたりするんだよね。


小学校でも

よく先生たちが引用して

子どもたちに話していたんだよね。


『みんなちがって、みんないい』


でもね、

実際にはね

 

みんな違っていることを

 

認めてあげることが難しいんだよね。



だってね、

ちょっとみんなと違うと

「それは変でしょう?」

「普通はね…」

って言ってるではないですか〜!



「変だ」とか


「変わってる」とか、

「普通は」とか言ってる時点で

実はね

 

違っていることを認めてはいないんだ。



違っているのを見た時に、

『おもしろいな』


って思う感覚が大事なんだ。


違いを楽しむって感覚。


ぼくが付き合ってきた

特別支援学級や学校の子どもたちはね、

ぼくを『おもしろい先生』って見ていたんだw

同じような匂いがするんだろうねぇ…w

 

あはははは〜♬


ぼくを見るとね

寄ってきて、ちょっかいをかけていくんだw


ぼくもおもしろがって

じゃれ合っているもんだからね、

周りの子どもたちも

一緒になって楽しんでいたのw

 

 

支援学級の子も通常学級の子も

自然にみんなが仲間になっていたんだ。

みんな楽しい仲間たちだったんだ。


変わっているのはね、

それはぼくの方だったんだw


ぼくが一番変わっていたからねw

ぼくが変ちょこりんなことをするからね、

支援学級の子どもたちの方が立派な感じで

ぼくに注意したり

ぼくを叱ったりしていたんだよねw


周りの子どもたちは大笑いしていたんだw



『みんなちがって、みんないい』

っていうのはね、

覚悟が必要なんだよね。


もっと強く言うとね

『みんなちがっていなきゃおかしいの』

違っていてもいい、

とか

違っているのを認める、

とか

そんなレベルじゃなくてね

もっと強く、

違っているべきなんだ。



同じように

なんてね…

ダメ!!!


違うようにしていくんだ。

だって

違うんだから…あはは〜!


受け身的に

違いを認めるんじゃなくて

(それでも十分に素晴らしいけど)

もっと積極的に

もっと強く

違いを認め楽しんでいく。


同じなんて

あり得ない〜〜〜!


違ってなきゃおかしいんだよぉ〜!!


と、

かなり違っていて

かなりおかしいオヤジが

山形から全国へ叫んでおります〜w w w


わぁ〜っはっはっはっは〜〜!!!




今日もあなたを大応援してますね〜✌︎('ω'✌︎ )

 

 

 

まさみち

 

 


 ぼくのお茶会やセッションの募集はメルマガでしています。登録してもらえるとうれしいです🎶

 毎朝、ひと笑いしたり感動したりしてから仕事に行けると評判です。楽しく元気が出るから読んでみてね。

↓クリックしてね♬

    


愛の福の神」なんて言ってるまさみちって人間はこんな人。がっかりしちゃうかな…汗

↓クリックして見てみてね。