『愛と笑いの福の神

   まさみちです』

愛と笑いの福の神のような存在でありたいっていう思いがね、心底から湧いてくるもんだからね、

 

『愛と笑いの福の神』って言ってるけどね、

 

おっちょこちょいで、子どもっぽい

 

愉快な『愛と笑いの福の神』なのです…あは。

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜 

 

あのね、

なかなか人に頼れなくなるのってね

学校とか家庭とかで

そう育ててきたところって

あると思うんだよねぇ…。



学校ではね

自分のことは自分でやりなさいって

そう言うことって

多々あるんだよね。




ぼくのクラスではね

誰かが筆入れを落としたり、

習字や絵の具の水をこぼしたりするとね、

教室中の子どもたちが

ピラニアみたいに集まってきて

片付けを手伝っていたんだよね。


心の中にある優しさを

大いに伸ばしたいなぁって

そう思っていたからね。



本当に優しく思いやりのある子どもたちに育っていたんだよね。





でね

ぼくが出張の時にね

ある先生が補欠で教室にきてくれたんだよね。


習字の時間だったんだけどね

ペットボトルに入れた水で筆を洗っていて

それをこぼしちゃった子がいたんだね。


でね

いつものようにみんな集まってきて

助けてあげていたんだよね。


あちこちに飛び散った黒くなった水を

拭いてあげたり

衣服についた汚れを落としてあげたり


普段だったら、

ぼくから褒められて感謝されるところだったんだけどね。


みんなも喜んで

ニコニコしながら手伝って

「大丈夫だからね。」

って優しく声をかけてあげてたんだけどね…



その時はね

代わりの先生が

怒ったんだって。


何やってんだって。

注意不足だって。

自分の不注意でみんなに迷惑かけてって…。


自分の不始末なんだから

自分で片付けろって言ったんだって。




その夜ね

数軒の家庭から

子どもたちが悔しがったり

悲しがったりしているって

ぼくの携帯に

電話が入ったんだよねぇ。



自分のことは自分でやるべき、

っていうのと、

自分でやりたいからやるっていうのとでは

ものすごく大きな違いがあるんだよね。



失敗してもいいから

自分でやってみたいっていう時に

世話焼きが入ったり


自分だけでやるのは辛い…

寂しい…悲しい…って時に

自分一人だけでさせられたり



誰かに頼ってはいけないんだって

それは悪いことなんだって

なんか刷り込まれていくんだよね…。




ぼくはね、


手伝って欲しい時もあるし

手伝って欲しくない時もあるし

それを

自分で選べるようになるのが自立だって思うんだ。



いろいろとできるようになることが

自立だなんて、

そんなもんじゃないって思うんだ。



自由自在に

自分で選べるようになるってことが

真の自立っていうものなのかなって

そう思っているんだよね。



自分の生き方だって

自分で選べるようになっていくんだと

本当の自立って

そういうことだろうって思うんだよね。




「どうしたいの?」

って相手の思いを聞いてあげたり、


「手伝おうか?」

って相手の意思を尊重してあげたり



そうやって

自分が大事にされてるってわかることで

自分が自分を大事にできるようになって


自立した人間になっていくんだと思うんだよね。




んでね、

ぼくはというとね…

できないことがいっぱいなんだよねw

だからね、

一人では生きていけないんだよねw

たくさん助けてもらわないと

生きてはいけないんだw


なんなら、

優しくしてもらわないと

泣いちゃうしぃ〜〜〜w


でもね

自立しているんだよねw


わあ〜っはっはっはっは〜〜!



今日もあなたを大応援してますね〜♬

 

 

 

まさみち

 

 


ぼくのお茶会やセッションの募集はメルマガでしています。登録してもらえるとうれしいです🎶

 毎朝、ひと笑いしたり感動したりしてから仕事に行けると評判です。楽しく元気が出るから読んでみてね。

↓クリックしてね♬

  


愛の福の神」なんて言ってるまさみちって人間はこんな人。がっかりしちゃうかな…汗

↓クリックして見てみてね。