泉州の海の側 尾崎と言う所の八男として生まれた。
私にとっては祖父にあたる。
海の男だけあって、浅黒く
笑うと真っ白な歯が爽やかな男前。
私はいつも「難波のおじいち
嘘かホンマか?風呂敷に包んだ弁当箱を頭に
結んでかすかに見える島
若い頃はバイオリンも弾いていたそうで
心斎橋のカフェで女の子に
お母ちゃんがお嫁に行った頃に
「ワシは女は千人斬りした。」
って言ってたらしいけど
ホンマにビックリする程の男前で、強ち嘘では無い様に思う。
家具屋の一人娘の所に婿入りして
一男一女を授かって幸せに暮らし
その後、後添えを貰ったのをきっかけに、
暖簾分けしてもらって
難波で家具屋を始める。
その頃は第二次世界大戦の只中やったけど、
おじいちゃんは喘息持
兵隊の徴兵を受けても、
いつも不合格で入隊出来なかったら
ある日、又々赤紙が届いたけど
又、いつもの事と大した用意もせず、
手拭い一枚持って徴兵を受け
何とそのまま入隊させられた。
番号つけられて、名前では無く
番号で呼ばれたらしい。
人間扱いされず、憲兵が威張り倒して、
ちょっとでも逆らうとボカ
とにかくビックリする程の男前やから、
やっかみもあったのか、
いつも憲兵に目を付けられ
ある日、白い歯を見せて笑ったと言うだけで
体罰としてグランドに
蝉の様に「ミーンミーン」って
一晩中、言わされたらしい。
おじいちゃんは笑い話の様に話してくれたけど、
なんて酷い体罰や
上司がそんな愚だらない事をしてのさばってるから、
日本は敗北し
難波のおじいちゃんは大腸癌で
57歳の若さでこの世を去った。
大島の着物着て、へこ帯で結んで
大腸癌の為、赤黒い穴が開いた腹部に袋を付けて、
それでも孫娘と会う時は変わらない白い歯を見せて
100万ドルの
私のハンサム好きの始まりは
そこからやと思う。
