【あいらぶゆー】
【あいらぶゆー】 高杉晋作編
無事にお屋敷へ辿り着いた後、そのまますぐに二人が療養している部屋へと案内された。
襖を開けた途端、少し血生臭い匂いに包まれ、布団に横になっている翔太くんの驚愕した瞳と目が合った。その隣には襟を腰元まで落とし晒で右半身を覆われた高杉さんが、胡坐をかいて座っている。
「どうして…お前がここに…」
「すまん、翔太。わしが呼んだんだ」
「………」
龍馬さんの一言に、悔しそうな表情で唇を噛み締める翔太くんと、一切私と視線を合わそうとしない高杉さんを交互に見やりながら、龍馬さんの隣に腰を下ろした。
「翔太くん…」
「そんな顔するなよ」
「だって…」
「俺は…大丈夫だから…」
「無理はいかんちや、翔太」
龍馬さんは、苦しそうに息をつきながら上半身を起こそうとする翔太くんを制し、次いで、同じく少し苦しげな息を零しながら立ち上がる高杉さんにも声を掛けた。
「高杉、おんしもまだ横になっちょったほうがえい…」
「…俺は大丈夫だ。あとを頼む」
高杉さんは、龍馬さんと私を交互に見つめながらそう言うと、私が入って来た方の襖から去ってゆき、
(高杉さん…)
少し乱暴に閉められた襖を見やりながら、龍馬さんが困ったように微笑う。
「あいつも、立っていられんほどの傷を負っちゅうはずやが…」
(え…っ…)
戸惑いの色を浮かべていると、今度は翔太くんが真剣な顔つきで呟くように口を開いた。
「高杉さん、ああ見えてとても責任感の強い人だから…うっ…」
「大丈夫?!」
更に近寄って声を掛けるも、右手で制されて一瞬、何も言えなくなる。
「俺のことなら心配ないから…」
「でも…」
「すみません、龍馬さん。痛み止めの薬を…」
躊躇ったまま、「分かった」と、言ってその場を後にする龍馬さんを見送り、私の名を呼ぶ声に答えると同時に、こちらへゆっくりと差し伸べられるその大きな手をそっと包み込んだ。
「来てくれてありがとうな…」
「藤吉さんから話しを聞いた時は、心臓が止まるくらい緊張しちゃったけど…」
「…ごめん、こんなことになって」
「ううん、二人が無事で本当に良かった…」
そう言って、微笑むと翔太くんは、「俺はもう大丈夫だから心配するな」と、言って苦笑する。出血多量のせいなのか顔色は青白く、唇は紫色に染まっていて、常に苦しそうな表情を見ているだけで胸が張り裂けそうになり。
一瞬、絡められた指先に力が込められ、翔太くんは尚も熱っぽい表情のまま私を見つめ言った。
「京を発つつもりだ」
「え…?」
「高杉さん…」
「そんな、あんな大怪我しているのに!」
思わず素っ頓狂な声を出して、慌てて口元を抑え込む私に翔太くんは、「高杉さんのことが好きなんだろ?」と、言って困ったように微笑む。
「…どうして」
「何年、友達やってると思ってんだ…」
(…っ……)
思わずかち合った優しい視線。
すぐに逸らしてもう一度、その瞳を見つめながら曖昧に頷いた。
短くも長い沈黙。
翔太くんは、まだ少し苦しそうに咳き込みながら、これまで抱えていたという私への想いを話してくれた。小さい頃は勿論、こちらの時代へ飛ばされてからもずっと私だけを守って行きたいと、思ってくれていたことを…。
「本当は、今でも心の整理がついた訳じゃない」
「…っ……」
「でも、こればかりは仕方がないことだしな…」
現代にいた頃の私だったら、喜んでこの想いを受け入れていただろう…。でも、今はあの人の温もりを欲してしまっている。
「それに、お前のいう事なら聞くと思うし」
「え?」
京を出立して、薩摩への船旅を決行しようとしている高杉さんを、皆して引き留めていたらしいのだけれど、全然取り合って貰えなかったらしい。
翔太くんは、俯き加減な私に微笑んで…
「だから、せめてもう少し肩の傷が癒えるまでここにいるように説得してくれ」
「うん…」
「それと、素直になれよ…」
「……うん」
もう一回頷きながら答えると、翔太くんは私の手をゆっくりと離し、「これからも、ずっとお前の幸せを願っているから」と、言って微笑んでくれたのだった。
(高杉さん…高杉さん……)
心の中で何度も叫ぶ。
あの後、「そこにいるんでしょう?」と、襖の向こうへ声を掛ける翔太くんの声に答え、苦笑いをしながら部屋の中へ入って来る龍馬さんを迎え入れた後、高杉さんが使用していたという奥の間へと急いだ。
息を弾ませたまま、その部屋へと歩みを進めると、開かれた襖の向こうで独り晒を巻き直している高杉さんの、少し唖然とした瞳と目が合った。
「お前……」
「…来ちゃいました」
「…………」
一瞬、止まった手を動かし、痛みを堪えるように目を細める高杉さんに歩み寄り、手伝おうとしておもむろにその手を払われる。
「何しに来た」
「…看病に、来ました」
「俺には必要ない。翔太の元へ戻れ」
翔太くんと同じように、苦しげな息を零す高杉さんの右腕を支え、利き手では無いからか、かなり手こずっている様子に見かねて、
「いいから、貸して下さい」
「おい…」
強引に晒を奪い取り、迷惑そうな顔をしながらも大人しくされるがままになっている高杉さんの肩から胸元を少しきつめに巻いてゆく。巻いている傍から薄らと紅く染まって行く晒と、時々、痛みを堪えるような息を漏らす高杉さんを見やった。
「翔太くんから聞きました…」
「…………」
「こんなに大怪我しているのに船旅なんて……しかも、行先が薩摩だなんて無茶にも程があります」
「そんなことは分かっている。くっ、もう少し優しく出来んのか?」
「我慢して下さい…」
眉間に皺を寄せながら右肩を竦める高杉さんにお構い無く晒を巻き付けてゆき、それを終えると腰元まで落とされていた着物に片腕だけを通そうとする高杉さんを介抱した。
(…素直にならなきゃ。)
しばしの沈黙を経て、最初に口を開いたのは高杉さんの方からだった。
「すまなかった…」
「……どうして謝るんですか?」
俺もまだまだのようだ。と、言って眉を顰める高杉さんの横顔を、ただ見つめるだけ。
(やっぱり、翔太くんを守れなかったことを気にして…)
こんなこともあるかもしれないと、心のどこかで覚悟していた。でも、いざこの現実を受け入れなければならなくなった時、激しい動悸に襲われて上手く呼吸をすることもままならなかった。
「私、高杉さん達が斬られたって話を聞いた時…胸が張り裂けそうになって…それと同時に、自分の本当の気持ちに気付いたんです」
頬が熱くなっていくのを感じながらも私は、翔太くんからも言われた通り、素直な想いを告げようと真っ直ぐに高杉さんを見つめ言った。
高杉さんのことが好きなのだと。
そして、初めて出会ったあの日から心を奪われていたことを伝えると、咄嗟に腕を取られ優しく胸元へと誘われ…
「…んっ…」
その温かい胸にそっと頬を埋めて甘えるように身を預けた。
「…それは、お前の本心か」
「はい…」
肩を抱きしめてくれていた手の平が、熱を帯びたままゆっくりと耳元へと上がって来ると同時に、息を呑むような強い視線に絡め取られて逸らせなくなる。
次いで、うなじと腰元に回された手によって強く抱き寄せられ、戸惑う間もなく口付けを受け止めていた。
一瞬、驚いて目を見開くもその甘美な口付けに酔いながら、同じように高杉さんの温かい背中を抱きしめる。
羞恥心を感じつつも漏れ聞こえる自分の声こそが素直な気持ちであり、私にとってこの温もりこそが全て。大好きな人に抱きしめられていることが、こんなにも幸せなことだったなんて思わなかった。
袖が擦れる音やお互いの吐息を耳にする度に、もっと求めてしまいそうになっている自分の欲求を抑え込もうとしたその時、熱を帯びたまま離れていった唇が頬を伝って首筋へと流れた。
その瞬間、痛みを堪えるような低く掠れた声が私の耳元を擽った。
「くそ、お前を抱くことすら叶わんようだな」
「な、こんな真昼間から何を言ってるんですか…」
「まんざらでもない様子だったが」
顔を上げた途端、あのいつもの悪戯っ子のような瞳と目が合う。
「そういうことを平気で口にするの、何とかなりませんか?!」
「言いたいことは言う。やりたいことはやる。それが俺の性分なんでな」
「嫌な性分ですね…」
「お前も、この先を望んでいるのだろう?素直になれ」
「あ…」
これ以上ないほど顔を真っ赤にさせながらも、私は高杉さんを前にして素直にこくりと頷いた。すると、高杉さんはまた離れていた隙間を埋めるように、傷ついていない方の手で再び私の肩を抱き寄せてくれて。
私の後ろ髪を慈しむように梳いてくれる。
しばらくの間、無言でお互いの温もりを確かめ合いながらも考えることは、高杉さんとのこれからだった。
今の高杉さんは、味方も多いが敵も多い。そんな現実の中で、どうやってこの人を愛していけば良いのだろうか…と。
「…何を考えているのだ」
「笑わないで聞いてくれますか?」
胸に頬を預けたままそう呟いて、視線をほんの少し上げると高杉さんの喉仏が揺れた。それをぼんやりと見やりながら、今考えていたことをゆっくりと言葉を整理しながら伝える。
「私、どこかで今回みたいな事件が起こるかもしれないと思いつつ、高杉さんなら絶対に負ける訳が無いと思いこんでいました」
「…………」
「でも、そうじゃなかった」
いつの日か、この世から高杉さんがいなくなってしまうかもしれないという恐怖と、これからも葛藤して行かなければならない現実を考えると、不安で堪らなくなる。
それでも、私は……
「高杉さんの傍にいたい。これが、素直な気持ちです…」
本気の告白をしたのは初めてだった。だから、恥ずかしくて顔は上げられないままだったけれど、小さな溜息がまた耳元を掠めた後、いつになく優しい声に包まれた。
「一度しか言わんから、よく聞いておけ。今の俺には、お前を娶り養って行けるだけの余裕は無い。だが、必ずや総督としての立場を確立させ、俺の妻として迎え入れる」
「高杉…さ…」
「これが、俺の本音だ」
それまで、待っていられるか?と、いう囁き声を耳にした途端、嬉し涙が込み上げて来て。ますます顔を上げられずにいたけれど、私は鼻水をすすりながら大きく頷いた。
そして、高杉さんは私の顎を擡げ、「もう一つ約束しよう」と、言ってニヤリとした微笑みを浮かべる。
「約束?」
「この傷が多少塞がるまでは、ここにいてやる」
「本当ですか!?」
すぐ間近にある顔を見上げながら、歓喜の声を上げるもすぐにそれは間違いだったと思わされる。何故なら、いつもの不敵な笑みがそこにあったから…。
「喜べ、それまでは上女中として傍に置いてやろう」
「はい……って、ええぇっ!」
「なんだ、不服か?」
「そういうわけじゃ!」
思わず胸元で両手の平を横に振りながら苦笑を返すと、高杉さんは満面の笑顔で私を見つめた。
その嬉しそうな笑顔が素敵過ぎて、思わずまた俯いてしまう。でも、そんな高杉さんの笑顔を目に焼き付けようと顔を上げた。その時、
再び、優しい眼差しに見つめられていたことに気付く。
「…愛している。お前だけを」
「あ…」
抗えないような眼差しに肩を震わせたこともあったし、強引過ぎて戸惑うことも沢山あった。でも、いつも前だけを見つめ邁進していく姿は、まさに幕末の獅子。
「私も…」
だから、そんな高杉さんについて行けばきっと、私も強くなれる。
「高杉さんを愛しています。これからもずっと…」
───貴方だけを愛し続けます。
年に一度の逢瀬を果たした、織姫と彦星。
仲が良すぎてそのせいで仕事がおろそかになり、引き離されてしまった二人。そんな二人にただただ、呆れ果てる高杉さんを見ているだけで自然と笑いが込み上げる。
本当は、とても切ないお話の筈なのに高杉さんからすれば、自業自得なのだそうだ。
そもそも、彦星の軟弱さが気に食わないらしい。
高杉さんらしい意見に苦笑しながら、今まさに、私達も織姫と彦星のように一緒にいられる時間を大切にして行かなければいけないと、改めて思うのだった。
その一瞬、一瞬を心に焼き付けながら…
【高杉晋作編 完】
~あとがき~
まずは、高杉編を書き終えました
翔太編はこれから書き進める感じです
今回は、今までと違って本編でも常に命の危機に曝されている二人の、「もしも」を描いてみました。途中、何となく…どこまでお互いの気持ちを書いて良いものか…なんて思ったのですけど(苦笑)
今回も、また私の書きたいように書いちまいましたよぉぉ
翔太編は、これまた二人らしく…それでいて、もう少し織姫を彦星を意識した展開にしていこうかと思っています
今回も、お粗末さまでした