微酔なる君との戯れを ~第二幕~(前編)



「ほな、あとは頼みましたえ。用事が済んだらすぐに戻りますさかい」

「はい。お任せ下さい」


(…ん……???)


くぐもった声が聴こえ、襖が閉まる音がして。次いで、すぐ傍で掛け布団がゆっくりと上下し、前髪がふわりと靡くのを感じた。


なぜか、ふわふわと体が浮いているような感覚と軽い眩暈に襲われると同時に、口の中に後味の悪い苦みを感じながらそっと目蓋を開けてみる。


小さく灯る行燈の火だけに照らされた薄暗い部屋の中で、


「……っ……」

「あ、気が付かれましたか」

「えっ……?」


ぼやけた視界のすぐ先に、薄らと顔らしきものが見えた。


ピントを合わせるように目を凝らして見ようとするけれど、その人の顔がはっきりしない…。


「誰れすか?」

「……えっ?」


少し驚愕したような声を気にかけつつも、無意識に伸ばした指先が柔らかくて温かい何かに触れる。


「あぁれ?」


お互いの息遣いが前髪を揺らすほどにまで近づいた距離を更に縮め……


「――んん?」

「だ、大丈夫ですか…」

「お、おきた…さんっ??」


私の布団を掛け直してくれていた沖田さんの手は、ぎゅっと布団を握って固定されたまま。大きく見開かれた瞳と目が合う。


「だいじょうぶれすぅぅ」
「大丈夫には見えませんけど…」


やっと慣れてきた視界の中に、苦笑気味の沖田さんをはっきりと映し出した。


(……沖田さんだぁぁ。なんだか嬉しいなぁ…)


私は夢見心地のまま無意識に沖田さんの頬に触れ……もう片方の手で沖田さんの左腕をがっしりと掴んでいたのだった。


「酔っておられるようですね…」

「あははっ、そんなことあるわけないれすぅよぉ~。ひっく…」

「思いっきり、酔っぱらっていますよ…」


少し困惑した表情で微笑む沖田さんを余所に、嬉しさと楽しさからか笑いが込み上げてきて。


なんて素敵な夢を見ているのだろう、などと思いながら、気が付けば沖田さんのうなじに手を回していた。


「おきたさん…らいすきっ…」

「えっ…」



*艶が~る幕末志士伝* ~もう一つの艶物語~



沖田さんの長い後ろ髪が私の頬をさらりと掠め、右の耳朶が熱くて、首筋がくすぐったくて。


「……参ったなぁ」


耳元で低く囁かれ、その優しい温もりを感じて初めて。


沖田さんを抱き寄せていたことに気付く。それでも、どうして沖田さんが目の前にいるのか分からないまま、ただそれが嬉しくて、


私は夢中でその優しい温もりに包まれていた。


「沖田…さん…」

「……はい?」

「もう少ぉしだけ、こうしていてもいいれすか…」

「……………」


微かな吐息が耳元を掠めて間もなく。両手首を優しく絡め取られながら、ゆっくりと沖田さんの体が私から離れていった。


「それが貴女の本心なら、私は躊躇いませんが。今は――」

「え、なんれすぅて?」

「あ、いえ……何でもありません」


私を見下ろす沖田さんの愛でるような眼の内にいつもとは違う何かを感じながらも、上目づかいに沖田さんを見やったその時。


「うっ……」


(気持ち悪いっ……)


突然、胃の辺りから込み上げてくる何かを感じ、顔を顰めたままゆっくりと上体を起こすと、沖田さんは苦笑いをしながら、「花里さんから預かりました」と、言って、枕元のお盆を膝元まで手繰り寄せた。


「酔い覚ましの薬らしいです」

「酔いじゃまし?」


まだぼんやりとした頭で一生懸命考えてみる…。


(えっと、えっとぉ……ということは、どうゆうこと?)


「花里さんは、貴女にお茶と間違ってお酒を飲ませてしまったと、仰っていました…」

「お酒を……」

「本当は、貴女を看ていたいと仰っていましたが、生憎まだ手伝いがあるとかで。それで代わりに私が……。それと、もし体調が優れない場合はこの薬を飲ませてやってくれと…」


そう言いながら、沖田さんはお盆の上に置いてあった薬の包を私に手渡した。


「私、お酒を飲んじゃったんれすか」

「そういうことらしいですよ」
「じゃあ、その…つまり……」


(えーと、えっと……花里ちゃんから湯呑を受け取って飲んだ時、一瞬だけど苦いと感じて。それから急激に体中が熱くなって……花里ちゃん達の叫ぶ声が聞こえて、それっきり…??)


受け取った薬と沖田さんを交互に見やって、


「私、もしかして酔っ払っちゃってたりしてるんでしょうか?!」

「さっきからそう、言っていたのに…」


涙目で呟く私に、沖田さんの少し困ったような笑顔が向けられている。かぁっと耳まで赤くなってゆき、今度は情けなさから顔を上げられずにいた。


(じゃあ、さっきのあの温もりは……)


頭から火が出そうな勢いで、顔が真っ赤になっていくのが分かる。



「うぅ……ごめんなさい…」

「いえ、貴女は何も悪くない。間違いで飲めないお酒を飲んでしまったのですから……それに、花里さんの代わりも立派に熟していたと聞きましたよ…」


さ、とにかく薬を飲んで。と、優しい眼差しで促され、薬を口の中に含み次いで、渡された湯呑を受け取って苦い薬を飲み干した。


「でも、どおして…沖田さんがここに?」


私の問いかけに沖田さんは、ふっと微笑んで。


これを渡したくて…と、言って隣にちょこんと置かれた風呂敷包みの上に手を添えた。


「本当は、甘い物でも届けようと思っていたのですが、これが届いていたので…お菓子をそっちのけに急いで駆けつけました」


再び島原へ足を運んでくれた沖田さんは、置屋で倒れそうになっていた私を抱きかかえ、花里ちゃんと一緒に部屋まで運んでくれたらしい。


「沖田さんが私を…」

「はい。重くはありませんでしたよ」

「……っ……」


くすっと微笑む沖田さんの爽やかな声を耳にして、空になった湯呑の底を見つめながら、何故か無性に悲しくなって。溢れそうな涙を堪えながら小さく呟く。


「……私にはまだ無理だったんです。彼女の代わりなんて…」

「そんなことはありませんよ。貴女はいつも頑張り過ぎるくらい頑張っておられる…」


――それに、私も。貴女の笑顔に何度も元気づけられています。


右手をうなじに添えるようにして、伏し目がちに呟く沖田さんを見つめた。


そんなふうに言って貰えるなんて。本当なら、嬉しくて堪らないはずなのに、お酒のせいなのか自分をコントロールすることが出来ず、心とは裏腹な言葉を投げかけていた。


「でも、でもっ!芸事に関しても、接客にしてもおんぶに抱っこ状態だし……酔ったお客さんから触れられた時も、」

「ええっ!?」

「菖蒲さんや花里ちゃんは、やんわりと跳ね除ける術を身につけているのに、私はどうしてもそれが出来なくてすぐ顔に出ちゃうし…」

「……そんな事があったのですか」


沖田さんの抑えたような低い声を耳にし、とうとう堪えきれなくなった涙が溢れ出す。


「そうなんですっ!!どぉして男の人っていっつもああなんです?!」

「え、あ…その…まぁ、それは男の性というか。でも…」

「まさか、沖田さんも女の子の肌に触れたいとか思ってるんじゃっ…」


鼻と鼻がくっつきそうな程近づいた二人の距離も気にせず、私はたじろぐように身を引く沖田さんに迫っていた。


沖田さんは、そんな私の下唇にそっとしなやかな指を添えながら、「……私は、好いた人以外に興味はありません」と、言って少し困ったように眉を下げる。


(……あっ……)


笑って泣いて、なぜか怒り出していた私は、その真剣な眼差しを受けてハッと我に返り、深い溜息をついた。


「すみません……私、さっきから何をやっているんでしょうね」

「いえ、逆に嬉しいです…」

「えっ?」

「――貴女の弱い部分も知ることが出来たので」


柔和な笑顔が向けられ、余計に気まずさでいっぱいになってゆき、


今もなお、完全に覚めやらないお酒のせいで沖田さんを困らせていたかもしれない。そう思ったら、落ち込まずにはいられなかった。


(…はぁ……もう、穴があったら入りたい…)


「少し、酔いも覚めてきたようですね。顔色も良くなってきた」

「え、あ……はい」


薬の効果も手伝ってか、酔いが覚め始めた私は、嬉しそうに風呂敷包みを解く沖田さんの指先を見やり、次いで現れた立派な桐箱に目を奪われた。


「あの、それは?」

「いつだったか、二人で陶芸家のお店へ寄ったことがありましたよね」



呉服屋さんへ新調していた着物を受け取りに行った帰り道。偶然、非番中だった沖田さんと出会ったことがあった。


「お供しましょう」と言う沖田さんに付き添われながら、とある陶芸のお店の前で足を止めた私達は、次いで躊躇うことなく店内へと足を運び。


数々の素敵な陶芸作品に心を奪わる中。私はしばらくの間、可愛い柄の陶芸品に夢中になっていたのだった。




【後編へ続く】


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