家族への罪悪感をなくす世界一カンタンな方法 それは○○の○○だった

その2


※まだ、状況説明が続きますから、伏字のままで、次回の『その3』が

 

 【解決編】になります。




前回の記事

祖父母(特に祖母)からの刷り込みもあり、

転勤族の父について都会間での引っ越しを繰り返すより


田舎でも定住したほうが良いだろうということで



第1子である私が14歳のときから



富山の父の生家で祖父母と暮らすようになった


母と私も含めた4人の子どもたち。



それまで核家族だったのが


慣れない義両親との同居が始まった母親。



都市部で暮らしていたころは

近所に同じ年頃の


遊び友達がたくさんいたのに


子どもの少ない地域に越してきて


それを失った2人の弟。



同居が始まってから


義母の母への悪口を


延々と聞かされるようになる


年子の妹。



それまでの


都会間での転居も


新しい土地に慣れるまでは大変だったけれども


都会から田舎へ越すギャップに加えて


『価値観の違う人と1つ屋根の下で暮らす』



大変さをこれでもかというほど味わいました。





それらの苦労に対して


どこかで私は、


「私が父と離れて


 富山に暮らしたいって言ったから


 親も兄弟もみんな、


 しんどい思いをするようになってしまった・・。」





そんな風に思い込むようになっていました。




そして


14歳のころから、

25年近く経った

 

私がアラフォーのころ


続々と


母と1番下の弟に大きな病気が見つかります。





なんだかそれらに私はすごく堪えてしまったんですね。



結局、私たちが富山に来た意味って何だったんだろう?



ただ、しんどい思いをしただけじゃなかっただろうか。


母にも兄弟にも無駄に苦労をさせてしまった。


あのまま転勤族でも都会で暮らしていたほうが


母も自分の裁量で家を回せて


兄弟も、もっといい教育が受けられたかもしれなかった。


「全部、富山で暮らしたいと言い出した、私のせいだ・・」








私が、真剣に自分を見つめ直し、

再生しようとメンタルコーチングを

受けていたのは、

2017年の話。








どうしてもこれは、

メンタルコーチに話しておきたいと思ったのが

自分が握りしめていた


そういった

実家の家族への罪悪感と思いでした。








次回、その3【解決編】に続きます!!