レイモンド・チャンドラー(1888年―1959年)は、アメリカ合衆国シカゴ生まれの、小説家で脚本家でもある。
1932年、44歳のときに、大恐慌の影響で石油会社での職を失って、推理小説を書き始めた。
最初の短編「脅迫者は撃たない」は、1933年に「ブラック・マスク」という有名なパルプ・マガジンに掲載された。
処女長編は、1939年の『大いなる眠り』である。長編小説は7作品だけで(8作目は後にロバート・B・パーカーが完結させた)、他は中、短編であるが、チャンドラーの長編はほとんど先に書いた中篇が元になっている。
『プレイバック』以外の長編は、いずれも映画化されている。死の直前にアメリカ探偵作家クラブ会長に選ばれた。1959年3月26日に、カリフォルニア州ラホヤで死去した。
チャンドラーの文体は、アメリカの大衆文学に大きな影響を及ぼして、ダシール・ハメットやジェームズ・M・ケインといった、他の「ブラック・マスク」誌の作家と共に、ハードボイルド探偵小説を生み出したとされている。
彼が生み出した主人公のフィリップ・マーロウは、ハメットのサム・スペードと共に、ハードボイルド系「私立探偵」の代名詞とされている。
ハンフリー・ボガートが映画で両者とも演じているが、チャンドラー自身はマーロウに一番近い俳優として、ケーリー・グラントをあげている。
チャンドラーの長編小説の一部は、文学作品として重要とされており、特に『大いなる眠り』(1939)『さらば愛しき女よ』(1940)、『長いお別れ』(1953) の3作品は、傑作とされることが多い。
あるアメリカ犯罪小説のアンソロジーでは、『長いお別れ』について「主流文学の中にミステリーの要素を取り入れた作品。ただし、その1番目は20年以上前に出版されたハメットの『ガラスの鍵』である」と評している。
レイモンド・チャンドラー(1888年―1959年)は、アメリカ合衆国シカゴ生まれの小説家で脚本家である。
44歳のときに、大恐慌の影響で石油会社での職を失って、推理小説を書き始めた。
人間の生き方について彼は語っている。
「タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」
さらに彼はこういう。
「さよならをいうのは、少し死ぬことだ」