☆前記事の続き、本編ですm(__)m☆

 

 

長文ですので…

大丈夫という方は、どうぞお付き合いくださいませ…m(__)m

 

 

 

 

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いったい、この感覚が、果たしてほんとうに「子どもの頃から」のことなのかどうかも、わからないのです。

“もっと前”からなのではないか、と思っています。

 

もしかしたら、この感覚は私だけのものなのか?と。そう自覚したのは、小学校の低学年。

つまり子供だったのですが、それ以前から私の中には当然のものとして「その感覚」の存在がありました。…この感覚が、何か、ひとに、そうですね、例えば、周りの友達や大人たち、誰に話しても理解されない感覚なのではないか、と、疑うことになったきっかけというものが、ありました。その「これはちょっとみんなが当たり前に持っている感覚ではないということなのかな」と自覚するに至った、きっかけ。

 

それ以前にも、そう思わせる出来事はいくつかありました。

 

まずは、その感覚を周りのおとなに「当然」存在するものとして私が話すわけです。

ところが、そうしたら、そんなことは「ない」と否定される。それでも私は頑固?で、私は間違っていない!とほんとうに幼い頃はそれを信じていました。ただ、その自覚のきっかけになった出来事があって以来、この感覚は誰にも理解されない?言えないもの、なのかな…と思うに至りました。そうして、つい先ごろまで、蓋をするようになりました。なんだか、この感覚が「そんなはずない」「おかしい」といわれたことは、自分自身が何か、全否定されたような…一種の混乱や、不安に陥ったのだと、今は思います。

 

そのきっかけ、について、おはなしします。

 

ちょうど、チェルノブイリ原発事故のあった頃、その後、でしょうか…小学生でした。

当時の担任の先生は女の先生で、母よりも年は上。というのは、当時高校生だか大学生だかのお嬢様と、そのお兄様と、先生にはふたりのお子さんがいらっしゃるとのことでしたので、三姉妹長女の私にいちばん下はまだ未就学児という子どもを持つ母よりも、あきらかに見た目も年長の先生でした。当時にしては恰幅の良い、大柄な女性で、そうですね…今もご存命であれば、恐らく80歳は越えていらっしゃると思います。その年代の方、そして女性教師というと、だいたいのイメージが浮かびますでしょうか…小学生の子供には、ちょっと怖いような…少なくとも、私には、とても権威主義的で、物事について断定的な、コワイ先生…と感じられ、かなり距離を取って接していたことを記憶しています…

 

かつては、ほんとうに日常的にあったことですが、先生は、いわゆるお勉強が出来て聞き分けのよい優等生の「いい子」をたいへん評価していて、そういう子を“ひいき”しているという、親がそう言うのか、子供も感じているのか、そこはわかりませんが、教室の雰囲気は、先生はひいきするからキライ。という子と、「どうでもいい」派と、ふたつに分かれていました。…要するに、先生を慕う子供たち、という存在は、私の知る限りでは見かけませんでした…。ということには、その後、別の先生に担任を持っていただいてから、後々わかったことです。

 

先生は、下校前の「帰りの会」←今こういう表現をしますか?(笑)いわゆるホームルームという時間です。この時間に、決まって時事問題についておはなしされました。時にはご家庭のおはなしが混じることもありました。それで、高校生だか大学生だかのお嬢さんがいらっしゃる、ということも知るわけです。

 

それは、チェルノブイリ原発事故が起きてしばらくした後の、ある日のことでした。

「今日は先ほどから雨が降り出しました、おうちに帰る際、雨には濡れないようにしましょう、」

“なぜ”濡れないようにしなければならないのか、ということを、「放射能」ということばや、「ゲンパツ」ということば、当時の私の耳にはなじまないことばで、先生は滔々と語られました。聞きながら、その問題の深刻さにすごく怖くなって、雨には濡れてはいけない、と。でも、その日私は傘を持ってはいませんでした。降るという予報はなく、降っている雨も、小雨なのです。当時通っていた小学校から自宅まで、私の足では歩いて40分はかかりました。なるべく濡れないように、慌てて走って帰宅したことを、今でも覚えています。ものすごく怖くて、一生懸命に走ったから。

 

こうして日々何かしらの刺激をこの先生から受けましたが、「感覚の自覚」についての出来事はこれからです。

 

ちょうどこの頃は、宇宙科学というのでしょうか。急速に発展した人工衛星や宇宙旅行への展望について、断続的に話題になっていた頃でした。人工衛星で、世界中のどこにいてもその特定の対象物についての情報が瞬時にわかる、という、そういうおはなしを、先生が「帰りの会」で話題にされました。「悪いことは出来ませんね」そういう文脈で語られたように記憶しています。

 

はなしの中核は、ここからです。

 

この、常に「誰かに監視されている」という、おはなしを、先生は“こわい”ことのように話されました。“悪いことは出来ませんよ、監視されているのですから。”…このように。

 

ところが、この「常にみられている」という感覚、これは私がもっと幼い頃から持ち合わせていたものでした。

ですから、どうしてこの時、わざわざ当然のことを話題にするのだろう、と不思議に感じたのです。先生が話題にされたということは、そのまま世間でも一定の話題になっていたということでした。テレビで当時ちょうど放送されていた午後のワイドショーでは、(世界のどこかで)打ち上げられた人工衛星が…というような話で持ち切りでしたし、折しも男子の間では子供向けのSF小説が一定の人気を博していました。テレビのワイドショーでも、先生とおなじくらいの大人たちが、常に監視されているということはプライバシー云々、というようなことを語られていて、まったくほんとうにそれはおそろしいことだと子供の私は「監視される」という恐怖心に震えながらその一方で、「いつも見られている」のは今に始まったことじゃないのに、いったい何を問題にしてこれほど騒ぐのだろう、と、そんな風に思っていました。

 

10歳になるかならないか、という私の脳裏には、はっきりと、ひとり用の宇宙船のような、狭いまるい、ヒトひとりが座れる空間の中にいるその存在が、常に宇宙のどこかから私のことを見つめていて、地球上の「私」と繋がり、ずっと見守っているという、そういう感覚がありました。言葉という言葉を交わすことはなくても、その存在はいつもいつでも私を見守っていました。もっと幼い頃からこの感覚はあったのですが、周りの大人に「いつもだれかに見られている」と、こう話すと、決まってこんな答えが返ってくるのでした。「それはみこちゃんの思い過ごし」「そういうの、ジイシキカジョーって言うのよ」「そんなはずはないよ、誰もいないよ、誰もみていない」…と。

ジイシキカジョーという言葉の意味がわからずに、母の書棚の岩波国語辞典を引っ張り出して、一生懸命そのことばの意味を探したことも、覚えています。

 

…何だか、ここまで綴ってきて、子供だった自分が、とても…愛おしくなりました。こんな気持ちははじめてです。

 

いまの私は、当時の私にこう言いたい。

誰にも理解されなくても、私だけは、わかっているよ、あなたが頑張っていること、いつも一生懸命なことも。

 

どちらが過去で、どちらが未来なのか。

 

いまの私は、当時の私よりも、「未来の私」、なのだろうか。

 

難しいことはわかりません。

 

ただ、今回、前記事にリブログさせていただいた、はぴママさんのご主人さまの体験談を拝読して、思ったのです。ご主人さまには「トンネル」だったその感覚は、私とっては「いつもだれかに見られている」と思っていた、その感覚。これと同じことなのかもしれない、と。その「だれか」とは、少し先の未来のわたし。ずっと、わたしはわたしを、みまもっている。…そういうことなのかな、って。

 

 

はなしはここから、中学か高校の頃に読んだ作品との関連に移ります。

 

続きます…m(__)m

 

 

ここまでお付き合いいただきました方、

どうもありがとうございますラローズ20笑顔ラローズ25