アメブロは凄いね!!

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みんなに心配を掛けてしまったが

そう、これを書いているという事は

無事だったという事だ。

 

これを書くにあたって、本当はどうしようか

迷ったんだ。

多分、書くことは仕事にマイナスになるだろう。

 

だが、胃穿孔で死にそうになったことも

胆管がん騒動で大変な事になったことも

包み隠さず書いてきたのだから

今回も・・・書いちゃえ・・・ということになった・・・

 

で・・・昨日の続きだ

みんなは、死ぬ一歩手前、このままいけば確実に死ぬ

という経験は有るだろうか・・・私には有るのだグラサン

 

今から54年前、私は16歳、場所は詳しくは忘れたが

千葉にある体育館で、新チームの新人戦(柔道)だった。

 

5人戦で、一年生の私は先鋒、つまりトップバッターだ。

それまでの私の戦績は、公式戦全勝、練習試合で

一度敗戦があるだけだ。

 

当然その試合も、20秒ほどで相手を払い腰で畳に沈めた。

次鋒が引き分け、中堅の先輩(180センチ・120キロ)が

相手選手の内股に、見事に投げられた。

その後副将、大将と引き分けになり代表戦となった。

 

当然代表は私だ、私に勝てる先輩は一人もいないからだ。

 

相手は巨漢の先輩を投げたあの男だ。

身長は私と同じぐらいだが、体重は10キロか20キロ多いだろう

しかし私は何も問題に思っていなかった。

 

試合が始まり、最初に私が技を仕掛けた

左の大外巻き込みだ・・・左足を絡ませ押して行き

身体を反転して投げ飛ばそうと思ったら

相手は私の軸足に右足を絡ませてきた・・・

 

そのまま絡み合いになり、後ろで私の身体を抱えた相手は

その全体重を私に掛け押しつぶした。

私は巻き込みの態勢だったため、前傾姿勢のまま

首の後ろから畳に打ち付けられた。

 

その時、あばら骨が「ゴキ!」と鳴った

私は折れたと思った。

そして気がついたら私は首を絞められていた。

 

私は必死に立ち上がろうと全身の力だ起き上がろうとした。

柔道のルールでは、腰まで起き上がれば審判が待ったをかける。

 

しかし私は待ったがかかる寸前で落ちてしまった。

見ていた部員によると、審判が待ったの手を挙げた瞬間

落ちてしまったそうだ。

 

気絶をするというのは、もう少し絞めていれば死ぬという事だ。

私ははっきりと覚えている。

真っ暗だった・・・ただ真っ暗の闇の中で歓声だけが聞こえていた。

 

ちょっと前置きが長くなったが昨日の続き、そう、二度目の激痛は

真っ暗闇の中での激痛だった。

 

それで私、もう駄目だと思ったのだ。

 

怖さも何もなかった、ただ、あぁ・・・これで俺は死ぬのか

という思いだけだった。

走馬灯のように想い出がとか言うけど、何もない。

 

少し時間が経ったようだ、多分、分の長さだと思うが

思考が少し戻った。

そうだ、今日は娘が音楽室でレッスンをやっている。

まだ居るだろうか・・・これは娘に救急車を呼んでもらうしかない。

 

私は自室を出て、居間を通り、キッチン抜け

何とか音楽室に辿りつき、娘に「救急車を呼んでくれ!!」

と叫んだ。

 

                                  続く