ただの体調の悪さだけでこんなことを書いてるとしたら
これは読んでくれているみんなに、こんな失礼なことは無い。
ただちにブログを閉鎖します。
 
ただ、みんなが戸惑うのも良く分かるのだ
それはこの記事が、29日を境にガラッと様相を変えてしまったからだ。
現在進行形で書いていた私も29日以降、どう書いて良いのか分からなくなってしまった。
それは、癌の確率が私の考えていた予想をはるかに超えてしまったからだ。
 
最初、5割ぐらいの癌の確率が、医師の「多分、大丈夫でしょう」という言葉で2割以下になった
もちろん自分の心の中でだ。
それが29日には8割以上癌と宣告された。
 
私はこのブログをどう閉じようか真剣に考えた。
しかしもう書きだしてしまった以上、ここで止めるわけにはいかない。
どんな形にしろ止めてしまえば、相当な心配や不信をみんなに掛けてしまう。
 
私が更新を止めてしまってからも、一日150件~~200件のアクセスがある。
無しの礫の私に、みんなが黙って、アクセスを繰り返してくれている。
 
私は嬉しかった・・・それゆえに、どのような報告になろうとも、この出来事の顛末は
キッチリと書かなくては駄目だと自分に誓った。
 
私の混乱がみんなをイライラさせるかもしれないが、最後までキッチリ書くので
少し気長にお読みください……それではつづけます。
 
 
私は入院手続きを終え、病院の玄関から正門に続く200メートぐらいの道をゆっくりと歩いた。
何かが腑に落ちない……
それはドラマなどでよくやる・・・「どうして私が!! 何で私が癌などに!!」などというバカげたイライラではなく
この流れがどうしてもしっくりこないのだ。
頭が混乱しているのか、何にイライラしているのか……家族の思い…自分の思い…親に対する思い・・・
入院スケジュールを勝手に決められた不快…それとも胃カメラの倍ぐらいの内視鏡への恐怖か……
 
なんだか良く分からないが、そんな諸々の事が、一斉に私に圧し掛かり始めた。
 
私は正門を出て、例の煙草屋の前で立ち止まり、取り敢えず一服して気持ちを落ちつけようと思った。
 
煙草に火を付け、一服、二服、煙をくぐらせた後、私は突然…「ふざけんじゃねえよ、バカヤロウッ!」と
声に出してつぶやいた……突然出たのだ。
 
そして私の姿勢と云えば、片手はズボンに入れ、少し前かがみに、目線は斜め前方を睨みつけ
足は少し幅広に構え、不良が多くの敵と戦う姿勢を獲っていた。
 
そして私は「何か大きい事をして、それから死んでやろうか」と思った・・・本当にだ。
 
そして一瞬のごとく、燃え盛る炎が大量の水によって一瞬に消火されるがごとく
「しょうがねえだろう」と気持ちが収まってしまった。
何事も無かったよう……
 
これで何度めだろう…この私の体質は…始めて気が付いたのは中学の時かもしれない
絶体絶命のピンチに立った時、この体質は突然私の意思とは関係なく現われる。
かってにしやがれ、という、開き直った状態だ。
 
これは女性との間にも起こった。
愛情のもつれや、裏切り、嫉妬…そんなどうしょうも無い状態に追い込まれると
私は突然…「もういいや・・・」とそれまで悩み、苦しみ続けた事が、一瞬に
本当に一瞬に、体からすり抜けてしまう、何のわだかまりも残さず。
 
多くは無い、絶体絶命の時だけだから・・・過去に三度あった。
やくざとの戦いで刑務所を覚悟した時もそうだった。
あれは、ライダーを終了し三年後の事だった。
今度で四度目だ。
 
何故そうなるかは分かっている…それはトラウマだ。
私の幼児期の体験が、自分を守る手段として身に付いてしまったのだろう。
 
私はほぼ平常心になって家に戻った。
家には私一人だ。
 
歩いて10分ほどの所に娘夫婦の住居が在る。
だからしょっちゅう食事に来るのだが、その時チャイムが鳴り、娘の亭主が
「お父さん、病院どうでした? 大丈夫ですか?」と訊ねてきた。
 
私は玄関で「大丈夫だ、大丈夫、癌だ、癌だったよ」と明るく答えた。
義理の息子は吃驚して・・・「癌ですか!」と一瞬固まり、大急ぎで飛びだしていった。
 
そしてそれから翌日の30日に掛け、家族会議が始まった……
 
                                                             つづく