さてさて…どれから話したらよいか
猫の粗相の話に始まり、今日も病院へ行き点滴を受けてきた話し
そしてmasaくんの・・・
ジョー山中さんと云えば、映画「戦国自衛隊」のエンディングテーマ「ララバイ・オブ・ユー」です。戦いに散った戦士の亡骸をバックに彼の切ないバラードが流れる…
戦士を包み込むような、優しく切ないララバイ…あのラストシーンは何度観ても涙が止まりません…
私の中では、邦画では最高に感動的なエンディングとエンディングテーマです…
速水さんもあの感動的なエンディングテーマを絶賛されているのではないでしょうか…
 
この質問だ……いずれも最後まで書くには三、四回の紙面が必要だ、いやもっと長くなるかもしれない。
すると全部を書くには一カ月以上の期間が必要となる。
猫の話は滅茶滅茶面白いし、病院の話は驚くべきことが起こり
戦国自衛隊の話は今すぐに書きたい・・・・・・・う~~~ん……迷いに迷う……
 
それに、大好きな長門さんの話も途中になってしまっているし……アァァァァッ! どうしよう!
あぁぁぁっ~~思い出した! 詐欺師の話もこれから佳境というときに長門さんがお亡くなりになって
こんな不謹慎なことは書けないと、途中で止まっているのだ。
あの頓珍漢な年増中国人ホステスは……自称二枚目マスターの末路は……
 
私はどうも書きだしてからあっちこっちにとっ散らかる悪い癖があるようだ。
作家というのは脚本家も同じ事だが、ここから書き出せば続けて書けるという
個別のパターンのようなものがあって、例えば以前に書いた「池波正太郎」氏は先を考えずに
机に向かうという、珍しいケース。
 
「今夜すべてのバーで」で吉川英治新人文学賞を受賞した「中島らも」さんは
最初の出だしさえ書ければ、それさえ書ければスラスラと筆も進むのだが
最初の一行が書けないとどうしょうもなく、地獄にハマると述懐していた。
 
では私はどうかというと、ラストがイメージ出来ないとどうしょうもないのだ
「ミッドナイト・アバウト」を書いた時も、完成している数本の小説も脚本も
すべてラストシーンが描けてから書き出している。
 
だから私にとってラストさえ決まっていれば、書き出しなど何の苦痛も無い
途中の展開などある程度は骨組みをしているが、そんなもの書いているうちにどんどん変わる
乗って書いていると驚くべきことに、パソコンの前に座った時は想いもしなかった事柄が
次から次に湧き出してきて、あっという間に一時間、二時間が過ぎてゆくのだ
現に今こうして書いていることも、さっきまで考えても居ないことだ。
 
これは私のどういう思考から来るのかと、自分自身を分析すると
それはやっぱり、映画という所に行きつくのだろう。
 
三歳の頃から入り浸っていた映画館、そしてその仕事をまさか自分がすると思いもよらなかった
この数十年……
そしてこのドラマ作りというのは、すべてがラストシーンにつながる。
作品の良いも悪いも、その全てがラストシーンに凝縮されるのだ。
前半が不出来な映画でラストシーンだけ良い作品など、そんなものは存在しない
いくらラストシーンに力を注ぎ込んでも、作品全体の感動がラストに集約されるので
前が悪ければ、後も絶対悪いのだ。
 
『その意味で、「戦国自衛隊」のラストは、これこそ映画!
というラストシーンなのだ。
だから何回見ても泣いてしまうというmasaくんの感想はとても良くわかるのです』
 
今書いた三行が、私が今日のラストに書こうと思っていたことです。
細かく話せば、まだまだ山のように書くことがあるのですが
取り敢えず、今日はここまでにしておきましょう……