ヤドカリ(宿借,寄居虫)は、ヤドカリ科 の中で、主として巻貝の殻を住みかとし、そこに体を収め、殻を背負って歩く生活をする。
 
ヤドカリは体の成長に合わせて貝殻を探すが、人間もヤドカリみたいなものではないだろうか。
ヤドカリにおいて貝殻の役割は恐怖からの防御だ。
貝殻を被っていれば、落ち着いた心もちで餌を探せるのだろう。
 
人間は貝殻を被って生活するわけにはいかないから、違う方法をとる。
人間においての恐怖は対人間だ。
それが家族の場合もあれば、学校の仲間でもある。
 
クラスの仲間を恐怖と感じたら、学校に行くのは恐ろしいプレッシャーだ。
人間は貝殻の変わりに人格の変換という方法をとって、その恐怖に対処しようとする
つまり、嫌われないように自分を変身させるのだ。
 
その方法は人によって様々だ。
私の場合は近所のガキどもと戦うことによってそのプレッシャーから逃れた。
小学校二年の時だ。
 
いろいろな回避の方法がある。
全てにおいて人と同調する・・・自分の意見は言わない。
誰とも会話せず、ひたすら自己の世界に逃げ込む。
強い奴の陰に隠れて、強い奴にゴマを擦り続ける。
どれをとっても大なり小なり、大人になってもそのトラウマを引きずりつづける。
 
それが悪いといっているわけではないのだ・・・それが個性なのだ。
トラウマは自分の知る知らないは関係なく、強烈な自分の個性となる。
 
光太郎くん、分かるかな・・・分かって、自分の個性とするのだ、芸能の世界ではそれが大事なのだ。
 
作家吉村昭氏の著書に「仮釈放」という作品がある。
これは自分の愛し信じていた愛妻の不倫を目撃し、妻を出刃包丁で惨殺し、相手の男に重傷を負わせ
尚且つ、逃げた相手の家に灯油で火を点け、男の母を焼死させてしまうという行為で
無期懲役を受けた男の話だ。
 
取材を丁寧すぎるほど綿密する吉村氏は、たぶんモデルの存在するこの主人公の仮釈放後を
丹念に描きつづける。
 
十五年の服役後、この男は仮釈放になり娑婆に出てくる。
私はこの本で初めて知ったのだが、有期刑の場合、満期で出所すればその後全くの自由だ。
しかし仮釈放の場合、残っている刑の間、娑婆に出ても、保護司に月二回の面会、遠出する場合の報告
その他もろもろの約束事がある。
そしてそれが官の側に報告されるのだ。
違反したり、もちろん僅かな罪でも犯せば、仮釈は取り消されて刑務所に逆戻りだ。
しかし残った刑の期間を無事過ごせば、保護司への報告義務は無くなり自由になるのだ。
 
しかし、無期懲役の仮釈放は違う、有期刑と違って無期なのだから、仮釈後も死ぬまで報告義務が
科せられるのだ。
 
この主人公の男、罪を犯す前は教師、それも生徒に好かれる真面目な教師だった。
妻との間に子供は出来なかったが、近所でも評判のおしどり夫婦だ。
この男は妻が始めての女性でソープランドとかそのようなふしだらな行為はしたことがなく
三十五年の人生で女性は妻だけしか知らず、それで満足している男だ。
 
不倫の発覚は匿名による手紙だった。
主人公の学校に届いたその手紙には、妻の不倫の日時から入ったラブホテルまで克明に書いてある。
もちろん、その不倫相手も・・・・・・その男は主人公の知人で、釣り同好会も一緒で、主人公の自宅ににも
来たことのある建築会社の社長だ。
男は信じられなかった・・・あの妻に限って・・・・・教師の元へは匿名の中傷とかその手の手紙はよく来る。
男はそんなこと信じなかった・・・・・・
しかし、手紙の日時を調べてみると、それは主人公の出張、一泊の釣り同好会の日、それに昼間は
妻が通っているカルチャースクールの日に限っている。
 
男は信じたくなかったが、定例の釣り同好会の一泊旅行を利用し、旅館には泊まらず家に引返した。
夜遅く家に帰ってみると、家の前には建築会社の社長の車が止っており
裏口からこっそり入ると、妻の興奮したよがり声が部屋中に響きわたり、妻の全裸の姿と
男の腰の激しい上下運動が主人公の目に飛び込んできた。
主人公は台所に行き出刃包丁を握ると、男の肩にめがけて刃先を突き立てた。
男は叫び声とともに部屋の端に逃げた。
主人公は妻の腹の上に馬乗りになり出刃包丁を振り上げた。
妻は両手で刃物を防ぐような仕種をしたが、その顔は無表情だった。
主人公は丹念に七回、妻の心臓を突き刺し、妻の動きが止ると、物置にいき、灯油の入ったポリバケツを
車に積み込み、逃げ帰った男の家に向かった。
 
主人公は裁判の時、罪も無い不倫相手の男の母を巻き添えにしたことに涙したが、本当は違った。
刑務所に居る時も、仮釈放になった後も、妻への憎しみは増すばかりで、相手の男の母も
死んで当然だと思っていた。
 
仮釈放後のこの男は、それこそ息を殺すように、誰にも見つからないように
ヤドカリのように生きてゆくが、保護司の世話で二回目の結婚をした女を殺してしまう。
 
この二度目の殺人は、多分作家の脚色だろう
しかしその他は非常に丹念に仮釈後の男の人生を描いている。
 
世の中に自分を合わせて生きる・・・・・・人はひとりでは生きられないのだからしょうがないが
どうやったら自分の居場所を確保できるか・・・・・・これが一生のテーマだ。
 
                                                             つづく