私はこのブログで度々、俳優とはどんな種類の人間か書いてきた。
精神病的人間が芸能、芸術という分野に進出してくるのだ。

それ故に、我々が新人の頃、破天荒なる俳優こそが我々の鏡、理想の俳優像とされていた。

文学も芝居も絵画も、およそ凄いといわれるものの根底に流れているのは
常人では体験できない、または想像も出来ない人間の深淵や痛快、壮快、悲しみなのだ。

観客は自分で体験するのは真っ平だが、映画の中ではすべてが許される。
「羊たちの沈黙」あのレクター博士がアカデミー賞を受賞する。

公務員を自分の職業と選ぶ人種と、真反対に属するのが我々の職業だ。
佐藤慶さんは、私にそれを伝えたかったのだろう。

最近そのような俳優が居なくなったのはマスコミの所為だろう。
交通違反ぐらいの微罪でも、それが有名人の行為ならばマスコミは殺人犯のような扱いで
各局競って報道する。
俳優の方もそれでドラマもCMも降ろされるんだったら堪らないから
勢い、行動を制限してしまう。
戦中の新聞報道みたいだ。
この国のこの民族の欠点は、何かあると全てがそっちを向いてしまうということだ。

優作の件に関しても事実は分からない。
報道は勝手に記事を捏造するからだ。
それに異議を俳優がぶち上げると、ここぞとばかりマスコミが叩く。
マスコミは戦中と全然変わっていない……

女優のH・Mは若い頃生意気で、他人に気を使うなどということは殆ど無かったが
後年共演した折、年と共に人間が出来てきているのを感じた。
彼女の場合は、歳を重ねるごとに、魅力の出てきた数少ない例だろう。

三國連太郎さん、先日お亡くなりになった北林谷栄さん、他にも沢山居るが
人はこの人達を名優と呼ぶ……しかしそれには狂という字が頭に付くのだ。

観客はこの名優達が悶え苦しみ役作りをしているのを知らない。
北林さんが役の為に前歯を六本抜いたと聞いても「へぇ~~!」ぐらいで終わりだ。
あなたは今の仕事の為に、前歯六本抜けるだろうか……

その辺が、この人達の凄いところだ。

                                          つづく