ここで森繁先生の生い立ちを、知らない人のために少し書く……

森繁さんは大正2年(1913年)大阪の枚方市で生を受ける。

森繁さんのお父さんは、旧制第二高校教員、日本銀行、大阪市庁(現・大阪市役所)、大阪電燈等の重役職を経て後に実業家となった人。お母さんは、大きな海産物問屋の娘・馬詰愛江との間に出来た3人兄弟の末っ子。久彌という名前は、父が大実業家・岩崎久彌と深い親交を持っていたことに由来する。江戸時代には江戸の大目付だった名門の出身だった。しかし久彌が2歳の時、父が死去。母方の実家も色々と子細、経緯等があって7歳の時に母方の祖父の姓を継いで「馬詰」姓から森繁姓になる。

つまり森繁さんは名門、大金持ちの坊ちゃんとして幼少期、青春期を過ごすわけだ。
しかし、父母を早く亡くした所為か、はたまたもって生まれた性格か、それとも大阪という
土地柄か、なにか人前で芸をして、拍手をもらうのがこよなく好きな子供だったらしい。

森繁さんの著書「こぼれ松葉」の巻頭にこんなことが書いてある。

『生いたちの記

大正二年五月四日。午前十一時過ぎ。
大阪府下、菊人形で名高い淀川のほとり、枚方市の万年寺山に、私は生まれた。
その日、大阪練兵場から飛び立った民間初の飛行家、武石浩玻氏は
透きとおるような五月の空を飛び、大淀川を下に見ながら伏見の練兵場へと飛んだ。

いよいよ母に最期の陣痛が来た頃、空高く聞きなれぬ爆音に
家中の者は飛び出して、空飛ぶ不思議な物体に口をあけた。
勿論産婆も廊下へ出て、空を仰いだが、その時、私は目出度く母の体から離れた。

私が産着を着せられて、ホッとシャバの空気を吸っているころ
武石浩玻氏は、伏見練兵場の真上から、墜落してあえなく世を去ったのである』

落ちた人は気の毒だが、なぜだか読んでる私たちはクスッと笑ってしまう。
自分が死にそうになっても笑いを取ろうとする関西人の心意気がよく出ていて
江戸人の「火事と喧嘩は江戸の華」とやせ我慢をする姿とあいまって
大阪人の痛快さを感じる。
森繁さんのユーモアのセンスも、大阪人故のことであろう。

余談だが、神戸の震災の時、私はその二日前に神戸に宿泊していた。
あの悲惨な惨状に声も出ず、TVの画面に釘付けなっていた私だが
僅か二日前にお会いした神戸の人達は、また義母が芦屋に行っていたことも含め
その消息が分からず、何とか情報をと切に思っているころ、ようやくTV局のレポーター
も現地に到着し、災害に遭われた人達へのインタビューが始まった。

予想される被災者の悲しみに、TVの前の私も、心を固くして見入ったが
その被災者の言葉に、私は感動してしまった。
家を潰され、肉親、知人まで、亡くされているのに、その人は会話の中で
笑いを取ろうとしていた……
普通だったら泣き叫んでもおかしくない状況だ。
しかしそれを最大押さえて、あえて笑いに持っていこうとする……
これは凄い…本当の意味での日本人の矜持を見せてもらった。
関西の笑いの文化の奥深さは、こんなところにあるのかもしれない。


早稲田に進学した森繁さんは、勿論迷うことなく演劇の道を歩み始める。
新しい演劇のうねりというのだろうか、森繁さんもその波の真っ只中で
演劇を続ける。
そして、早稲田劇研に訪れた東京女子大の美女に一目ぼれし、幾多の競争相手を
蹴散らし、生涯の伴侶を獲得する。

その後、大学は三年で中退し、つてを頼って東宝に入社するが全く陽の目を見ない。
くすぶりの始まりだ。
舞台で馬の足をやったり、その当時飛ぶ鳥落とす勢いだった「古川ロッパ一座」に入り
古川ロッパから鉄拳制裁、いじめにあっていたのがこの頃だ。

その当時の日本は、暗く重たく戦争の影が覆いかぶさり、軍事一色になっていた時代だ。
非暴力、暴力が大嫌いな平和主義の森繁さんは、なんとか徴兵に取られないように
ロッパ一座を辞め、NHKのアナウンサー試験を受ける。

そのときの森繁さんの言葉…「こぼれ松葉」より

昭和十三年の春、NHKでアナウンサーの募集があった。
ヒヤカシのつもりで受けに行ったが、花のアナウンサー時代で
七回も試験をされ、だんだん人数が減りながらも三ヶ月もつづいて
生まれて始めての難事だった。
九百七十人中の三十人に私も入ったが、私はわざわざ外地をのぞんだ。

十人が日本の放送局、十人が満州(現中国東北部)朝鮮が五人、台湾が三人、樺太が二人と
決まったが、私は満州に決まった。

 せまい日本にゃ住みあきた~~支那にゃ四億の民がまつ~~

馬賊の唄を口ずさんで、些かすてばちな気持ちもあり関釜連絡船で日本をあとにした。
・・・・・・中略・・・・・
いよいよこの地に来て、ここに生きる。
私は恥しながら、三つの指針(テーゼ)を持とうと心に言いきかした。

その一つは、何でもいから文句を言わず人の二倍から三倍働いてやろう。
その二つは、今からでも遅くない、出来るだけの勉強をして
      無為に流れた青春の日々を取り返そう。
その三は、一切の過去を、良かし悪しかれひっくるめて忘却の淵に捨て去ろう。

親がえらかろうが、先祖がどうだろうが、俺の血の中にこそ遺産ははあっても
俺が良くなるのも悪くなるのも、この地ではこの自分の力しかない。

そして生まれたばかりの長女、満州で生を受ける二人の男児、最愛の妻との
満州での激烈な生活を森繁さんは送ることになる。

                                          つづく