それは欽ちゃん(萩本欽一)の『快話術』という本だ。
2000年、12月の発売だから、約十年前の本だ。
欽ちゃんがこのような本を出していることも知らなかったので
なにげなく手にとってみたのだが、本当に驚いた。

だから書物というのは凄いと思う。
一冊の本が、自分の考え方とか、生き方を変えてしまうことがあるのだ。

この本は、欽ちゃんのこれまでの生き方とか、人生観を
心が通う話し方という切り口で、自分の体験を交えて語っているのだが
これは形を変えた自叙伝だ。

みんなは欽ちゃんの事を、コント55号のことをどのくらい知っているだろうか?
多分、コント55号が彗星のごとくブラウン管に現れ、日本中を笑いの渦に巻き込んだ
昭和43,4年のことをライブで体験した人は居ないだろう
私が十八歳ぐらいの頃だ。

ここで詳しくコント55号のコントを話したところでその斬新さと、面白いさは伝わらない
ただその後ヒットした、たけしとさんまの「おれたちひょうきん族」などは
コント55号の真似をした亜流なのだ。

今は当たり前になってしまった、生のライブ感をお笑いの主流にするといった手法は
コント55号が始めてそれをTVに登場させた。
それまでの笑いというのは、コント作家が居て、演出家がいて、動きも制限され、何度もリハーサルを
させられ、一番つまらなくなったところで収録をするといった、笑いの本質の分からない
制作サイドの都合で、TVのバラエティー番組が作られていた。

立場の弱い芸人は演出家に逆らうことが出来ず、不満だらけで出演をしていたというのが
本当のところだ。

コント55号のコントを見ると分かるのだが、舞台を目一杯使い、あっちこっちと動き廻る。
カメラはそれを必死に追いかけ廻るのだ。演出家はコント55号がどう動くか分からない。
欽ちゃんと二郎さんだって、自分達が本番でどう動くか分からない。

今までは、カメラの動き、つまり演出家の指示で動いていたものが、コント55号の出現により
そんなものは吹っ飛んでしまった。
間違いなくその方が面白いのだ。
だからさんまもたけしもダウンタウンも、打ち合わせをしない、その場で起こることを大事にするのだ。

欽ちゃんのことは、というか欽ちゃんの生い立ちとか、そんなことはアイドル歌手じゃあるまいし
本人も話さないし、あえてマスコミもそんなことを根掘り葉掘り調べない。
だから欽ちゃんの詳しい生い立ちなど私たちは知らなかった、それにお笑い芸人にシリアスな
家庭の事情など、話すだけ芸の邪魔になる。

だが、これは俳優も歌手も、芸能の世界で一時代を築いた人は、ある一定の年齢になると
自叙伝が書きたくなってくる。
出版社もそれを望むので、その芸人のブームが去った後に自叙伝が出てくる。
そしてその中身は、本音を書いてくるのだ。
そこには、その人物の生い立ちから、芸能界での戦いの日々、つまりどん底から成功への
サクセスストーリーが書かれているわけだ。

そこに珠玉の言葉や行動が山のように詰まっている。

欽ちゃんは1941年生まれだから、六十歳近くになって初めて自叙伝を出したわけだ。

う~ん……長くなるから…つづきは明日…(~_~;)