見切り千両という格言がある。
本来は株相場用語なのだが、現在ではもっと広い意味でも使われている。
泥沼に足を取られて、身動きできなくなる前に手仕舞いをしろということだ。

博打にハマってもう勝ち目など無いのに、破産するまで止められない。
倒産するのは目に見えているのに、返す当ての無い金を作ろうと命を削る。

何を頼りに・・・神風か・・・
私も賭け事は大好きだったのでとことんまでやった、バカみたいに。
その時の心境は、絶対に逆転があると自分に言い聞かしながら泥沼に入っていってしまう。
そんな逆転など万に一つも無いのに、あると思ってしまう

この前の戦争がそうだ、客観的に負けは見えているのに、神風などと馬鹿なことをいい
原爆を落とされるまで手仕舞いが出来なかった。

私が選挙に行き始めたのはいつの頃かと考えてみると、ロッキード事件(1976年)が起こった頃からだと思う。
「総理の犯罪」ということでそれはショッキングな事件だった。

なにがショックかというと、それは政界、財界、魑魅魍魎、色々あることは知っているが
時の総理が、アメリカから飛行機を買う業者を選定するのに、ピーナッツという隠語を使い
ピーナッツ一つが一億円で、それを四つ貰っただの五つ貰っただの、それで有罪になってしまうのだから

これはえらいことになってしまったと私は思った。大人達は子供にどうやってこの事件を説明するのだろう。
「そう、総理大臣だって、悪いことをするんだよ」と教えるのだろうか・・・
悪いことをした子供を叱る時「だって、総理大臣だって悪いことをしてるじゃないか」と言われたら、大人はどう答えたらいいのだろう。

親が子供に教える最初のことは、「やって良い事と悪いこと」それから「嘘をついてはいけない」
それから「礼儀と人に親切にしなさい」こんなところが基本かな。

でも大人たちは・・・先生は子供にエロいことをする。警察官は泥棒をする。
政治家は金儲けに目の色を変えている。

我々の世代は違った意味で大人を信用していなかったが(それは前述した)「総理の犯罪」以降の子供に
は、違う種類の不信感が心の中に芽生えてしまったと思う。

だから私は右翼でも左翼でもないが、自民党を倒す為に選挙の時は一度も自民党に入れたことは無い。

それでも自民党の支配は全然変わらないので、何度か諦めもしたのだが、やっと変わった。
「見切り千両」とうとう国民が自民党を見切った。

これ以上悪くは絶対にならないと思う。
膿を全部出し、リセットしてやり直しだヽ(^o^)丿

                                           つづく