そうか・・・もう少し書こうと思っていたが、そろそろ結論を書こう。

私はこの項の最初で、「不世出のスターとは何をもって云うのか」「石原裕次郎を語るとき、忘れてならないのが敗戦だ」と書いた。

1957年、「明治天皇と日露大戦争」という映画が封切られた。
私は明治生まれのおじいちゃんに連れられてその映画を見に行った。
私は映画を殆ど一人で観に行っていたので、おじいちゃんと一緒に行くというのも
初めての経験だったかもしれない。

映画館に着くと、もうそれは大変なことになっていて、全部の扉から人が溢れ、映画を観るどころではない、各扉の外に数十人が押し合い圧し合いして、何とか前に進もうとしているのだ。
あの田んぼの中の映画館であんなに人が入ったのを見たのは、後にも先にもあの時だけだった。

私はおじいちゃんに肩車をしてもらって、大人の頭の上と扉の隙間からかろうじてスクリーンを見たが
何をやっているのかさっぱり分からない。
私の記憶はそこまでで、その後映画は観れたのか、それとも帰ってしまったのか全く記憶に無い
記憶に残っているのは大人たちの異様な熱気が、開け放たれた扉の、その奥の真っ暗な客席から恐いように立ち昇っていたのを子供心にはっきり憶えている。

あれは何だったのだろう・・・そう、それは敗戦の悔しさなのだ・・・絶対に勝てないと言われたロシアとの戦い。
世界最強といわれていたロシアのバルチック艦隊を迎え撃つ、東郷平八郎率いる日本海軍・・・
奇跡の戦いにバルチック艦隊を完膚なきまでに打ちのめした日本海軍・・・
「明治天皇と日露大戦争」を観て、もう一度、大和魂を呼び起こしたかったのだ。


現実を見れば、アメリカに完膚なきまでに叩きのめされ、原爆を落とされ、食料を与えられ、DDT(殺虫剤)を体中に吹き付けられ
物言うことさえも止められ、首根っこを押さえられたままアメリカに服従する・・・

この映画に多くの大人が駆けつけたのは、奴隷のごとく踏みつけられた日本人の魂を
少しでも蘇えらせたくて、全国の日本人が映画館に押し寄せたのではないだろうか・・・

表面上はアメリカ文化を受け入れるふりをしながら、本当は悔しかったのだ。

戦後の映画はみんなそうだった。三船敏郎さんの「酔いどれ天使」も「りんごの歌」も
美空ひばりも、みんな戦後を、敗戦を背中に引きずった作品だ。
日本人は白人を見るたびに劣等感に苛まれる・・・

ところがそんなことを吹き飛ばす若者が出現したのだ\(◎o◎)/!
それが石原裕次郎だ。

太陽のような明るさで、持て余すような長い足を大地につけて、大股で闊歩する。
「アメリカ! それがどうした、俺の方がカッコいいぜ」と言わんばかりにヽ(^o^)丿
裕次郎さんの顔からは敗戦だのコンプレックスなどというものは微塵も感じられない。
「どうしたみんな、楽しく、カッコよくいこうぜ\(^o^)/」と映画の中から語りかける。

これに国民がシビレタのだ。
だから裕次郎さんのファンは年代層が広い、普通熱狂的なファンというのはスターより年下か
同年輩なのだが、裕次郎さんの場合は、国民総動員のファンなのだ。

裕次郎さんが日本人のコンプレックスを吹き飛ばしてくれた。
だから石原裕次郎は「不世出のスターなのだ」。

最初に20代、30代の人達にも石原裕次郎は関係あるんだぞと言ったのは
君たちに白人コンプレックスは無いだろう。

それは君たちの親に当たる団塊の世代の私たちが、裕次郎さんによってコンプレックスを
吹き飛ばしてもらったからだ。

繋がっているんだよ。

戦前、戦中を経験している政治家どもは、いまだにビビリまくり、アメリカの呪縛から逃れられない。
俺たちはとっくにアメリカコンプレックスから抜けているというのに・・・

これで少しは「石原裕次郎」が分かってもらえたかな・・・
いまでも多くのファンから愛される理由が分かってもらえたかな・・・

                                          つづく