1956年(昭和31年)私が小学校へ上がった年だ。
この年、石原裕次郎がスクリーンデビューする\(◎o◎)/!
その前に、昭和31年とはどんな時代か物の値段で今と比べてみよう。

まず大卒の初任給・銀行で・・・5600円。公務員だともう少し高い。
しかし大卒など殆ど居ない、十人に一人ぐらいは大学へ行けたのだろうか、いやもっと少ないと思う
我々団塊の世代で、十人に一人ぐらいが大学へ行った・・・それより十年以上前、世の中は殆ど貧乏人だ。

風呂代・大人15円・子供6円   あんぱん・12円  ラーメン40円  タバコ・ピース40円
山手線・一区間10円  地下鉄・20円  タクシー初乗り80円

そして映画は全国平均・大人60円・子供30円・・・これは住んでいる地方によって、または一番館、二番館とか在って、それによって料金が違う。
封切りと同時に観られる大都会の一番館は100円ぐらいしていたのかもしれない。
田舎へ行くほど観るのが遅れる・・・それでも観れれば良いが、しかしこの頃は全国の映画館が
雨後の竹の子のように増え、私の町には田んぼの中に映画館が出来ていた。
それだけ娯楽が少なく、まだTVなど普及していないので、映画が娯楽のトップだった。

この映画の料金、子供30円というのは、私の一日の小遣いが10円だったから3日使うのを我慢すれば映画が観れるのだ・・・それで前述したように毎週映画を観に行った。
私の町の映画館は三番館ぐらいだったから、三本立てだ、映画は平日、夕方から始まったので
帰りは真っ暗になってしまう(日曜日は朝からやっていたと思う)・・・それで「口裂けおんな」みたいな事件が起こるのだ(~_~;)

映画会社は五社、東宝、松竹、大映、東映、そして裕次郎さんのいた日活だ。

この大儲けの映画会社で、東宝は黒澤明の作品を始め、サラリーマン物とか東宝独自の路線で映画を
送り出す、スターは三船敏郎さんだ。それに森繁久弥さんや小林桂樹さんなどなどがつづく・・・

松竹は「君の名は」が大ヒットしてメロドラマ路線を突っ走る。それに名匠小津安二郎、木下恵介などが
ヒューマンな作品をつくり、松竹カラーというものを出していた、代表的なスターは佐田啓二、(中井貴一はその息子)だ。
私はその当時松竹の映画を殆ど観ていない、田舎の映画館に松竹映画は来なかったし、小学生の私に
メロドラマ、小津安二郎・・・難しくて分からない・・・しかし「二十四の瞳」とか「喜びも悲しみも幾歳月」は良く覚えている・・・千葉の田舎ではなく、横浜で観たのかもしれない。
夏休みとか冬休みには必ず横浜の母のところに行き、朝から晩まで映画を観まくっていたからだ。

大映は大スター長谷川一夫を中心に、時代劇、京マチ子、田中絹代を主演とした大人の映画、名匠溝口健二の「雨月物語」など、今でも評価される作品をつくり、他の映画社とは
これまた違う、文芸路線みたいなカラーもあって、独特の作品を世に送り出す。

東映は、これは娯楽一直線だ(^_-)-☆ 片岡千恵蔵、市川歌右衛門(北大路欣也さんのお父さん)
両大スター中心に、時代劇まっしぐらだ・・・これに美空ひばり、中村錦之助の若手大スターがつづき
子供や大衆に一番受けていたかもしれない・・・子供たちの遊びは、棒切れを刀代わりにチャンバラごっこ、どこの町や村でも同じ風景が見れたと思う・・・仮面ライダーごっこと同じだ。

では日活は・・・この映画産業大繁盛の時期に、倒産しそうになっていたのだ・・・\(◎o◎)/!

                                      つづく