「みんな、悔しいだろう、悲しいだろう、親を亡くし、兄弟を亡くし、友達を殺され、家を失くし
大事もの全てを失くし、戦争に負けた・・・これはみんな大人の所為だ、先生たち大人がこの戦争の責任を負わなくてはならない。しかし心までも奪われた訳ではない。今は米軍の占領下にあり、自国の事を日本人が決定できない状態にあるが、誇りある日本民族がこのまま犬のようにアメリカの顔色を伺いながら奴隷のごとき民族になりさがる訳が無い・・・他日を期そう・・・いずれこの屈辱を晴らすため、今は
自重し、他日、必ずアメリカを追い越す国になるのだ・・・日本人の誇りを忘れるな」・・・

せめて、これぐらいのことは、子供たちに伝えておいて欲しかったよね・・・
初めて敗戦を体験した大人たちは、ひたすらその責任を軍部、国におっ被せて、教師達は自分達も被害者のように日本批判に徹した・・・日本はろくでもない国だ、日本人もろくでもないと・・・

これが今でも尾を引いている、我々はひたすら自虐的で・・・政治家、官僚は、あやふやに責任を取ろうとしない。

それでも真面目で勤勉な日本人は貧困と混乱の敗戦から、なんとか立ち直っていく。
その庶民の背中を押してくれたのが歌謡曲だ。

昭和二十一年、終戦の翌年にサトウハチロー作詞の「りんごの歌」が大ヒットする。

♪赤いリンゴに口びるよせて~だまって見ている青い空♪
♪リンゴはなんにもいわないけれど リンゴの気持ちはよくわかる~~
♪リンゴかわいや かわいやリンゴ~

並木路子が明るい声で軽快に歌うリンゴの歌・・・サトウ八ローという詩人は、リンゴという比喩を
使って、なにを表現したかったのだろう・・・何がそんなに庶民の心を捉えたのだろう・・・

そしてその翌年、菊池章子が歌う「星の流れに」が大ヒットした。

星の流れに 身をうらなって
どこをねぐらの 今日の宿
荒む心で いるのじゃないが
泣けて涙も かれ果てた
こんな女に誰がした

煙草ふかして 口笛ふいて
あてもない夜の さすらいに
人は見返る わが身は細る
町の灯影の 侘びしさよ
こんな女に誰がした

飢えて今頃 妹はどこに
一目逢いたい お母さん
ルージュ哀しや 唇かめば
闇の夜風も 泣いて吹く
こんな女に誰がした

この曲の原題は「こんな女に誰がした」だった。しかしGHQの横槍が入る、音楽も映画も全て
アメリカ軍の検閲が入るのだ。
この曲は「日本人の反米感情を煽る」ということで、「星の流れに」に変わった。

この曲の詩は、従軍看護婦として中国に渡り、終戦で日本に帰国すると、家から家族から全て失ってしまっていて、自暴自棄から娼婦に転落した女性の実話だ。

映画も統制を受けながらも復活してきたが、台本にまでチェックが入り、敵討ちとか、チャンバラは
反米感情を刺激するということで、教科書に墨を塗ったように、台本にも墨が入る。

その中で黒澤明などの作品が台頭してくる・・・

裕次郎さんはまだ出てこない・・・(^_-)-☆
つづきは明日・・・