不況の風と共に今年もクリスマスが近付いてきました。
これだけ経済も政治も混乱していると、時事ネタでも書きたくなるが
問題発言をしてしまいそうなので、時事ネタはもう少しお預けにしようか(~_~;)

クリスマスというと、みんなも記憶に残っている忘れられない思い出があると思う
それを聞かせてもらえないだろうか。

私の場合は、顔も名前も公開なので、どうしても書きたいけど書けないということもある。
しかし君たちは殆どの人が匿名なので、その辺は思い切ったことが書けるだろ(^^♪

赤裸々な告白とか、悲惨な一日とか、最高のクリスマスとか、是非、みんなを楽しませてくれ。

手始めに私のクリスマスを書こう。

私たち団塊の世代がクリスマスというとき、それは子供の時の思い出と云う奴は少ないのではないか
各家庭は、クリスマスどころではなく、約9割の家庭が貧乏だった。

親にクリスマスプレゼントねだるなど、それはごく一部の裕福な家庭の事で、我々には全く
縁の無い事だった。

小学校の時、クリスマスの話をしている奴だとか、先生を私は全然記憶していない。

記憶しているのはクラスの女子が、お昼の弁当の時間になると、みんな自分の弁当を
隠して食べることだった。

何故かと言えば、弁当の中身を見られることが恥ずかしかったからだ。
若い人には信じられない人も居ると思うが、おかずが全然入っていない弁当を持ってくる子が
かなりの人数いたからだ。

弁当の中身はご飯と梅干一つ。これを日の丸弁当といった。

私の通った小学校は、私が卒業する10日前に給食になった。
給食とはこんなに美味しいものかと、驚いた記憶が10日間だけある。

そんな状況だから、みんなクリスマスどころではないよな(^_-)-☆

私のクリスマス体験は中二の時だった、担任の先生がクリスマスパーテーをクラスでやろうと
提案した。

この先生は24,5歳の新任の国語の先生で、優しい性格だったが、何か新しいことを
やろうと、意欲に燃えている先生だった。

この先生が担任になって初めてやったことは、帰りのホームルームの時に歌をみんなで
歌うことだった。

我々不良学生は反対したのだが、口うるさい女子の強烈な賛成票により、学園広場という
舟木一夫の歌を歌うことになってしまった。

6クラスある中でそんな馬鹿なことをしているのはうちのクラスだけ、その声は全クラスに
聞こえてしまっているし、何をやっているのか見に来る奴らも日に日に増え、私は逃げ出そうと
思っていたが、なんと、いつのまにか、全クラスが歌うようになっていた\(◎o◎)/!

そんな事も有って、先生のクリスマスパーテーの提案に反対できなくなっていた。
しかし、心の中では、何がクリスマスパーテーだ!と馬鹿にしていた。

当日は、みんなが何でもいいから一品プレゼントを持ち寄り、交換するのだが、大きな箱の中に
そのプレゼントを入れて、誰が何を持ってきたか分からないようにする。

そして先生は暗幕まで用意して、教室を真っ暗にして、ロウソクを立て、安月給の中からケーキまで
買って来た。

BGMもどこから持ってきたのか、プレイヤーとレコードで、クリスマスの雰囲気を盛り上げ
一人一人が一番前に置かれたプレゼントを取りに行く・・・
プレゼントは帰るまで開けてはいけないルール。中身が気になってしょうがない。

ロウソクの明かりの中、先生がキリストの逸話を話して聞かせ、そして最期に
みんなで「清よしこの夜」と「ホワイト・クリスマス」を歌った。

何故か、みんなの目に涙が溢れた・・・そう云う私も涙が溢れてしまった。

私が体験した始めてのクリスマスの日の出来事でした。

                                        速水