峰岸さんと初めて会ったのは、大映映画(1970年)「太陽は見た」の葉山海岸ロケの時だった。

この作品は、峰岸さんと渥美マリが主演で、アラン・ドロンの太陽がいっぱいをコピーしたような
映画だった。

峰岸さんの役は、自分が犯した計画殺人が最期のところで発覚し
その証拠を隠した海で狂乱しているところを、刑事に捕まる。

その若い刑事の方が私、ベテラン刑事は名古屋章さんだった。

刑事の姿を見て愕然とする主人公・・・私は、砂浜から海の中へ一歩一歩、力強く犯人に迫る!
動けない犯人・・・刑事の手錠が犯人の手首に食い込む!

初共演はこんなシーンだった。

撮影が終わった後、峰岸さんが私に近付いてきて

峰岸さん「・・・あんたどこの劇団・・・」と聞いてきた

私   「大映のニューフェースだけど・・・」

峰岸さん「そう・・・あんた、良いよ・・・」と言って去っていった

これが最初の出会いだった。

二度目の出会いはそれから20年飛ぶ。

1991年に放送された、土曜ワイド劇場「スキースクール女たちの華麗な斗い」この作品で
一緒になった。

札幌ロケで峰岸さんと会い、よろしくと挨拶をした後

私   「峰岸さん、俺のこと覚えてます」と言った、

峰岸さん「覚えてるよ!マリの時だろう」・・・私は吃驚した、刑事役といっても私は3シーン

ぐらいしか出演していないチョイ役だ。自分より大きい役の人は覚えているが、チョイ役のことは
覚えていないと言うのが芸能界の常識。

それから峰岸さんとよく話すようになった。

スキーの話だからロケ現場はスキー場、泊まっているのは目の前の温泉が七つも有る
大きなホテル。

暇を持て余した峰岸さんがしきりにスキーに行こうと誘う・・・私はスキーをしたことがない。

ゴルフより100倍面白いからやろう!簡単だから!俺が教えてやるとしきりに誘う。
側にいる河原崎健三さんは絶対やらないと、動こうとしない。

しかたなく、私が付き合うことにした。
衣装部からエキストラ用のスキーウエヤーを借りるが真っ赤なやつしかなく、それを着る!
耳あてが必要だからと、うさぎの耳あてをみたいなやつを持たされスキーを担いでリフトに乗った。

リフトは俺たちを乗せ一番頂上まで行った!
初心者コースは撮影で使っており、上級者コースへ行ったのだ!しかし私はそんなこと知らない
なにしろ初めてだ・・・

頂上に立つとかなり急勾配だ!スキーの履き方も知らないので峰岸さんに聞く
おっかなびっくりでスキーを履いていると、近くにいた若い女性のスキー客が
「アッ!俳優さんだ!カッコいい!!」とか黄色い声をあげている。

と、いきなり峰岸さん、スクッと背筋を伸ばし急勾配を滑って行ってしまった\(◎o◎)/!

「キャー!カッコいい!」とか云う女の子の声・・・そして私の方を見ている!

アチャ!どうしたらいいんだ!ええい儘よと、私も急勾配を滑った!

5メートルも行かないうちにぶざまにこけた!

若い女の子達は、ゴミでも見るように私を見て、それから去った(~_~;)

う~~ん、峰岸さん!!

トッ散らかってしまったスキー板を拾い、履こうと思うのだがどうしても履けない?
エッー!どうすれば履けるの(T_T)/~~~

まわりに聞く人は居ないし、スキー板と格闘すること数十分・・・峰岸さんが帰ってきた

峰岸さん「亮ちゃん、なにやってんの?」

もう!たのむよ、教えてくれるっていったじゃん・・・

峰岸さん「ごめん、ごめん、」スキーの履き方を伝授して、峰岸さんは去っていく~~

立っているより転がっている方が多いが、取りあえず途中のリフトまでたどり着いた
ここからまた頂上まで上がるのだ・・・しかし!リフトに乗れない、盛り上がっている
雪に、スキーがすべり、リフトまでたどり着けない・・・(みっともネェ)

するとどこからともなく峰岸さんが現れ、「亮ちゃん、エッジを立てて歩くの」
う~ん、なるほど歩ける・・・先に教えておいてくれないかな~~(~_~;)

しかし、もっと酷いことが起こった・・・このリフトは股にリフトを挟み、ロープにつかまり
スキーを滑らせながら上に登っていくやつだ。
一人がこけると、リフトが全部止ってしまう。

私は何回リフトを止めただろうか・・・数え切れない(~_~;)
こけるたびにリフト横の雪に埋まりながら、また下まで行ってリフトに掴まる・・・
いつまでたっても頂上にたどり着けない・・・来るんじゃなかった(~_~;)

しかし、そうこうしているうちに、だんだん滑れるようになってきた\(◎o◎)/!

最期の方は、いちどもこけずに、下まで滑れるようになった・・・これがいけなかった
調子に乗ってスピードを出しすぎ、思い切り転んで、左のわき腹を強打してしまった・・・
息が出来ない・・・骨が折れたのかと思った!

どこかで見ていたのか、峰岸さんが飛んできて大丈夫かといった!
幸い骨は折れなかったが、3ヶ月痛みが引かなかった。
その後、この痛みの所為で、90前後で廻っていたゴルフのスコアーが150以上叩く
羽目になってしまい・・・ゴルフ仲間に何十万も負けを払うことになる。

もう二度と、スキーはよそうと深く心に誓う(~_~;)

峰岸さんはそんなこと無かった様に、「亮ちゃん(^^♪サウナ行こうか」とあの子供のような笑顔で
誘ってくる。

サウナの中で、汗をかきながら、いろいろなことを話した。

峰岸さんの子供の頃の話、弱虫で、虚弱体質で、いつも母親の影に隠れていたこと

特異体質で、指が極端に短いこと・・・改めて見て吹き出してしまった!

京都で勝新太郎さんに意見したことにより、やくざに狙われ、5年ほど京都に行けなかった事

痔を治してくれた医師を大尊敬していること・・・離婚のこと・・・

そして娘さんをどれだけ愛しているかということ・・・・・娘への愛情が切ない程に伝わる。

芝居のことも話した、私が演技の行き詰まりから、アクターズ・スタジオの演技法を
一から勉強したと云ったら・・・「亮ちゃんいいなあ~俺ももう一度、一から勉強したい」と
真顔で言っていた峰岸さん。

サウナに入っていると、照明部の若いやつが入ってきた、話をすると本当は俳優志望で
文学座に入りたいといった。
峰岸さんは直ぐ文学座の俳優仲間に連絡を取り、彼を文学座に入れるため骨を折っていた。

子供のような笑顔で、いかにも楽しそうに人の面倒みる峰岸さん・・・
これまで、裏切られたことも数多くあると思うが、そんなことは全く意に介さず
人の面倒みる峰岸さん。

私が峰岸さんと会ったのは、その十年後、ある監督の新年会で顔を合わせた三度だけだ。

たったこれだけで、人の心に、あったかいものを残していく峰岸さん。

あなたと触れ合った多くの人が、あなたの死を悲しんでいます。

多くの人があなたのことを、あなたの笑顔を忘れないでしょう。

やすらかに眠ってください。

                                    弔詞