こんにちは。
今日は久しぶりに葉山森戸海岸にきました。
海の家はこれから建て始めるところで、まだゆっくり散歩できます。
江ノ島が見えます。
森戸海岸には葉山の総鎮守 森戸神社があります。
鎌倉で源氏の再興を果たした源頼朝が、流された伊豆の地で深く信仰していた三嶋明神(現在の静岡県 三嶋大社)の御分霊を葉山に勧請したのがはじまりで、七瀬祓(七か所の神聖な河海に臨んで行う祓い)の霊所でもあるそうです。
(七瀬は森戸の他に由比ガ浜、江ノ島龍穴などがあります)
そんな森戸神社では6月の晦日に夏越の大祓があります。
それは人型に切った白い紙=人形(ひとがた)に、今年が始まってから半年の間に身についた罪や穢れを移し、海に流す行事です。
ここから海に流します。
この場所の近くにみそぎ橋があります。森戸海岸と森戸神社はこの橋でつながっています。
森戸神社は祖父が気に入っていた神社でした。特に信仰心が篤いタイプではなかったのに晩年はよく通っていて、葬式も神式を選んだくらいです。
そんな祖父が亡くなる数年前、夢にタキシードを着て出てきたのが森戸神社近くの海岸でした。
にこにこ笑って役目を果たしてすっきりした様子でした。
あまりにリアルな夢だったので、数日中に亡くなってしまうのかと思いきや、それから数年生きました。
最後は結構苦しそうだったので、夢のことはすっかり忘れていましたが、思い起こすと、亡くなった時着せたのはタキシードだし、死に顔も笑っていたので、やはりあの夢で、死んだあとの祖父と会っていたのかなと今は、思います。
そうなると、時間の流れは過去から未来へ流れているのではなく、未来からいまという現実に流れているのかも?という気もします。
よく時間は幻で本当は「いま」しかないと聞きますが、いまいち実感がわきません。でも、未来を知っているから直感という形で「いま」何らかのメッセージをもらえるのかもしれないと考えるとちょっと納得します。そのメッセージを送っているのは誰かというと、未来の自分としか思えないので、日常で意識している自分というのは氷山の一角にすぎなくて、自分というのはもっと拡がりのあるものなのかなあと最近思ってます。
今日の詩
海のあなたの
テオドル・オオバネル 上田敏訳
海のあなたの遥けき国へ
いつも夢路の波枕、
波の枕のなくなくぞ、
こがれ憧れわたるかな、
海のあなたの遥けき国へ。