この作品は、偶像少女文学会さんが発行された『アイドルと文学vol.2』に寄稿した『仮面女子の立花あんなは最強のセンターだ』の内容と同一のものです。

 

 

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仮面女子の立花あんなは最強のセンターだ

 

2015年1月11日。

 

秋葉原のパセラ7階にある仮面女子の常設劇場「P.A.R.M.S.(パームス)」で初めて仮面女子のライブを見た。

 

それまでモーニング娘。、AKB48、SKE48といった地上アイドルを応援してきた筆者とすれば毎日抽選もなくライブを見られることやメンバーがファンのことを認知していることも含めてすべてが衝撃的だったのを覚えている。

 


そして、仮面女子を好きになって何よりも衝撃的だったのは仮面女子のセンター立花あんなの存在だった。

 

こんなにもセンターらしいセンターを見たことがない。

 

その感覚は仮面女子を応援するようになって2年が経過した今も変わらない。

そんな立花あんなを筆者は「立花あんなは最強のセンターだ!」と公言している。

立花あんなのどこがそんなにすごいのか、なぜ立花あんなは絶対的センターでありうるのか。

 

最強の地下アイドルにして最強のセンター立花あんなの魅力についてお伝えしよう。

 

センター固定制と変動制

 

センターとは、その曲のフォーメーションの中で1列目の真ん中のポジションを担当するメンバーのことを指す。

 

もっとも注目されるポジションでありグループを象徴する存在となる。

AKB48の前田敦子のように一人のセンターで固定するケース、SKE48の松井珠理奈と松井玲奈のWセンター体制で固定するケース、HKT48や乃木坂46のように1曲ずつセンターが変動するケースなどセンターの在り方も各グループによって様々である。

 


センターを固定するメリットは、なんといっても分かりやすいことだろう。

 

センターに選ばれたメンバーがそのグループのアイコンとして機能することとなる。

 

人間は多くのことを覚えられない。多様なメンバーがいることが魅力であるAKB48とはいえ、アイドルヲタクではない一般の方に全員の名前を憶えてもらうことは難しい。

 

だから、まずは前田敦子を覚えてもらう。

そこを入口にしてAKB48全体に興味をもってもらうという戦略だ。

 


SKE48も結成当初は松井珠理奈と松井玲奈のW松井がメディアに露出する機会が圧倒的に多くSKE48は珠理奈と玲奈の存在は知っているが他のメンバーは知らないといった方も多かった。

これも珠理奈と玲奈を入口にしてSKE48全体に興味をもってもらうという戦略となる。

 


センターを固定するデメリットも存在する。

 

それは人気が一極集中することでセンターに選ばれたメンバーに過度のプレッシャーがかかることだ。

注目されるということはファンやメディアに叩かれることになる。

並の精神力では耐えられない。

 

運営に推されるということでセンターになれなかったメンバーから恨まれることもあるだろう。

 

ましてや平等意識が強い女の子の集団で特定のメンバーが目立つことは反感を買う要因になりやすい。

運営としてはセンター以外のメンバーのモチベーションをどう維持させるかは悩ましいところだ。



反面、HKT48や乃木坂46のように1曲ごとにセンターを変動させるシステムは運営としてはメンバーのモチベーションを維持させやすい。

 

誰もがセンターになれる可能性があることをほのめかすことで次こそは私がセンターになると思わせることができる。

 

しかし、固定制と違いセンターがグループの象徴という感覚は薄くなる。

そして、センターに指名されたメンバーは自分のせいで売り上げが落ちたらどうしようといった固定制とは違ったプレッシャーを感じることになる。

 


固定制、変動制どちらもプレッシャーがかかることは間違いないが固定制のほうがよりプレッシャーも大きくなる。

 

変動性が期間限定センターなのに対し、固定制は期限が設けられていないことから周りの目も自然とグループの代表として見ることになるからだ。
 

 

アイドルの現実と理想

 

AKB48のドキュメンタリー映画『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』(東宝、2012)において、AKB総選挙の舞台裏、西武ドームコンサートで過呼吸や脱水症状になるメンバーが続出するシーンが描かれている。

 

また、『アイドルの涙 DOCUMENTARY of SKE48』(東宝、2015)においては、SKE48結成当初のレッスンにおいて振付師の牧野アンナとメンバーの緊張感あるやりとりが収録されている。

 

華やかに見えるアイドルの裏側に過酷な一面があることを示し、多くのメンバーの涙を目にすることになった。

 

 


AKBグループの総合プロデューサー秋元康氏はアイドルの舞台裏を見せることでファンの情に訴えかける手法を使う。

 

映画の中で傷つき涙する彼女たちを見てかわいそうだと思う反面、メンバーがこんなにもがんばっているのだからもっと自分たちも応援してあげなきゃいけないとファン心理に火をつける。

 

こういった演出を否定するつもりはないが、アイドルは傷つくという代償を払わなければ夢を見ることはできないと言っているようにも思え、ここに筆者は違和感を感じる。

 


ファンは自分の推しメンが傷つくところを見たいと思うだろうか。

 

アイドルの世界も熾烈な競争社会だから傷つくことも多いのは分かる。

 

選抜総選挙のように順番を付けられることで嫌でも現実を見せつけられることで涙するのも分かる。

 

だが、やっぱりファンは推しメンの笑顔を見たいと思うものでメンバーには楽しんでほしい。

 

当然、つらいこと苦しいこともあるだろうが、それはどんな仕事をしても同じことで、それが嫌ならそもそもアイドルには向いていないということだ。

できることなら傷つかなくても夢を見て夢を実現できる場所であってほしい。 

     
こんな考え方は、現実が見えていない一ファンの理想論に過ぎないのであろうか。

 

 

センターとしての覚悟

 

そんなことを思っているときに仮面女子の立花あんなに出会った。

 

立花あんなは人前で弱音を吐かない。いつも明るく元気で前向きな姿を見せてくれる。

 

SNSが浸透した現在においてアイドルのネガティブな一面を目にすることは珍しくないが、それは立花あんなの考えるアイドル像ではない。

 

弱音を吐かない理由についてこう語っている。

「私が元々アイドルになったのは人に元気を与えるためなので自分の苦しんでる姿は見せたくなくて、元気な姿だけ見て欲しいなっていつも思っています。そういうところだけをファンの方に見せてますね。だから弱音は吐けないってのはあります。」
(https://news.dwango.jp/2015/01/11/15497/idol/2/ DWANGO.JP NEWS、2015年1月11日)


自分が好きだったアイドルはいつも元気を与えてくれた。

元気を与えるはずのアイドルが、見てる人を悲しませるようなことを言う必要はないというのだ。

 

言うのは簡単だが、これほど難しいことはない。

 

誰だって弱いところを見せたくて見せているわけじゃない。

誰かに言わないと精神的なバランスを保つことができないから言ってしまうのだ。

 

 

この発言が実際にアイドルをやっていて、センターというプレッシャーのかかるポジションを任されている立花あんなが言うから意味がある。立花あんなは本当に楽しい姿だけを見せてくれるからだ。

 


センターを任されたアイドルが、センターはいかに大変なポジションでプレッシャーがかかるかを悲壮感をもって語ることがある。

 

それを目にしたセンターになれなかった他のメンバーはどう思うだろうか。

 

もし自分がセンターになれなかった立場だとするなら「そんなに嫌なら私に代わってよ。」と思う。

 

センターが大変なのは分かる。愚痴の一つも言いたくなるだろう。

 

それでも、みんなセンターになりたいと思ってがんばっている。

 

一番注目される存在になりたいと思っている。

 

それなのにセンターを任されたメンバーがセンターであることを嘆いてどうする。

 

 


立花あんなは2015年1月1日にリリースされた仮面女子の曲『元気種☆』の劇場初披露の直後にこんなブログをあげている。

「LIVE中ね、わたしはミスをしてしまいました。わたしの立ち位置は絶対にしてはいけないんです。何があっても。〈中略〉私だけは絶対にダメなんだ。いつもそう思ってステージに毎日毎日毎日いるのに、悔しさが身体中に染み渡って本当に悲しかった。元気種☆を楽しみにしてくれてたファンの方に、今日まで身を削って頑張ってくれたメンバーに、社長に、スタッフさんに、元気種☆に携わった全ての方にごめんなさい。って、、」
http://ameblo.jp/anna-tachibana/entry-11973290954.html
立花あんな公式ブログ『立花あんなのあんないすでいず♪』、2015年1月5日)



初披露だからミスをしてしまってもしょうがないと言い訳をすることもできたはずなのにセンターは何があってもミスは許されないと言っている。

 

センターを任されるということはこれだけの覚悟が必要ということだ。

 

その覚悟がないならセンターの席を譲ったほうがいい。

 

それが本人のためであり、センターになれなかったメンバーへの礼儀だろう。


 

絶対的センター立花あんな

仮面女子はセンターを立花あんなに固定している。

 

初代センターの藤崎麻美がセンター在任549日だったのに対し、2代目センター立花あんなは2017年2月8日にセンター在任1500日を迎えた。

 

仮面女子では立花あんなを絶対的センターといい不動の地位を築いている。

 

メンバーやファンからも信頼されており、立花あんなのセンターに異論を唱える者を聞いたことがない。

 

センターを一人に固定するというもっともプレッシャーがかかるシステムであるにも関わらず、なぜ立花あんなは1500日も続けることができ信頼されているのだろうか。

 

 


そこには立花あんなの人間性が大きく影響を与えている。Twitterやブログを読んでいくとアイドル立花あんなの哲学を知ることができる。

「たとえ、もし、とってもしんどい時があっても世界は広いから今絶対どこかで私よりずっと大変な思いしてるけど負けずにがんばってる人がいるって思うと負けてられないぞ!わたしなんてまだまだや!って思うんだよね♡世界は広い!」
(Twitter、2015年3月22日)

「嫌いな言葉 疲れた 辛い 眠い 立花あんなの辞書にはない言葉!笑」
(Twitter、2015年4月3日)



疲れた、辛い、眠い、普段何気なく言ってしまいそうなこんな言葉も立花あんなの辞書にはないという。

なぜなら世界には私よりももっと大変な思いをしているけど負けずにがんばっている人がいるから。

 


この考え方を自分が実行できるかと言われたら難しいと言わざるをえない。

 

だって世界中に自分よりも大変な思いをしているかどうかなんて関係なく、今の自分が疲れた、辛い、眠いと感じていて、自分ががんばっていることを認めてほしいとどこかで思ってしまう。

 


そこでファンは一つの懸念を抱く。

 

弱音を吐かないと無理をしているんじゃないかということだ。

 

人前で弱音を吐かないことを公言しファンもそこが魅力だという。

 

それは同時に、弱音を吐きたくなっても元気で明るい立花あんなを演じ続けなければならないということを意味するのではないか。

人間であれば苦しかったり、辛かったり、泣きたいことだってある。あまりに我慢しすぎるとパンクしてしまうんじゃないか。

 

アイドルとしてどうあるべきとか、

センターとしてどうあるべきとか、

そんなことよりも人間立花あんなの感情にもう少し素直になってもいいのではないか。

 


だからファンは「たまには疲れたとかつらいとか言ってもいいよ。」と言いたくなる。

 

だが、こういったやさしさから発せられる言葉も本当に彼女のためになっているのかと迷ってしまう。

 

なぜなら、ファンに心配させてしまっているということそのものが立花あんなが思い描く理想のアイドル像ではないからだ。

 


この疑問を解決するために撮影会で思いきって本人に問いかけてみた。


「あんまり抱え込みすぎるとパンクしちゃうよ。つらいことがあったらたまにはつらいって言葉に出してもいいよ。」


するとこんな答えが返ってきた。


「ライブがあれば全部忘れられるよ。」

 


すごい言葉だ。どんなにつらいことがあってもライブがあれば忘れられるという。

 

この言葉はこういう質問が来たらこうやって返すようにしておくといった感じでもなく、ちゃんと考えてから言ってくれたので真実だと分かった。

 


では、この言葉が真実だとして本当にライブがあればどんなつらいことも乗り越えられるものなのだろうか。

2015年の生誕祭において常設劇場についてこんなことを語っている。

「この常設劇場は自分のファンがいなくても他のメンバーのファンの方が自分のコールをしてくれたり本当に温かい場所です。こんな温かい場所ってなかなかないんじゃないかなとすごく思っていてここに立ちたいなって思う女の子もたくさんといると思うんです。ここに立てるってことだけで夢へ着実に近づいていると私は胸を張って言えます。私は今ここにアリスプロジェクトの一員としていることに本当に誇りに思っています。仮面女子アリス十番で必ず夢を掴む。一度きりの人生ここにかける。その言葉に嘘偽りはまったくありません。絶対にこの素晴らしい景色をくれたみんなに今度は私たちがすばらしい景色をまだまだこれからも届けていきたいなと思っています。」
(2015年立花あんな生誕祭でのメッセージ)


素晴らしいメッセージだ。

 

常設劇場があることが日常になってくると感謝の気持ちが薄れてきそうなものだが、全くそんなことはなく感謝の気持ちを伝え、さらにこの舞台に立っているということが着実に夢に近づいているんだと語ってくれた。

 

ここに立花あんなの強さの秘密が隠されている。

 


一般的に「弱音を吐かないこと=溜め込んでいる」と考えてしまう。溜め込んでいるからいつか爆発してしまうんじゃないかと心配になる。


では立花あんなは溜め込んでしまっていて無理やり元気なアイドルを演じているのだろうか。 
 

好きなこと、やりたいことをやると必ずリスクを伴う。

 

アイドルをやれば華やかなステージに立てる代わりに先行きの見えない未来に不安を感じることになる。

 

アイドルをやれば多くのファンに応援してもらえる代わりに好きな人と恋愛をすることはできなくなってしまう。

 

彼女にも当然苦しいことやつらいこともある。

でもそれはこんなにも多くの方が応援してくれる幸せに比べたら、夢に近づくステージに毎日立てることの幸せに比べたら悩みのほとんどは贅沢な悩みでしかない。

 

そうやって今ある幸せにちゃんと気づくことができるから溜め込むことなく明るく元気なアイドルでいることができるのだろう。
 

立花あんなは最強のセンターだ

いつも明るく元気で人前で弱いところを見せない。

 

アイドルとはファンに元気を与える存在なのだから弱いところを見せる必要はないと断言し、仕事で嫌なことがあったとき、思い通りにいかなかったとき、どんなときでもステージに立つ立花あんなを見ると元気になれる。

 

それこそがまさに彼女が理想とするアイドルであり、立花あんなそのものなのだ。


インターネットで「仮面女子」と検索すると、よからぬ評判がいっぱいヒットする。

 

それが真実か否かは定かではないが、仮面女子のことについて詳しくない人の印象と近いものがあると思っている。

 

仮面で素顔を隠し武器を持って登場するアイドル仮面女子。

その不気味な存在感に嫌悪感を抱く方がいるのも当然だ。

だが、食わず嫌いをする前に一度劇場で立花あんなのステージを見てほしい。

 

秋葉原の常設劇場では365日公演を行っていて、いつでもライブを見ることができる。

 

仮面女子のセンター立花あんなの魅力をぜひご自身の目で感じてほしい。

メンバーも立花あんなの背中を見ると安心するという。

ネットでの誹謗中傷、メンバーの大量卒業。

 

仮面女子に動揺が走ったときも立花あんながセンターでいてくれる限りファンは心のどこかで安心している。そこまで信頼されるアイドルを見たことがない。

 

だから自信を持ってこう言いたい。
 
仮面女子のセンター立花あんなは最強のセンターだ。

 

 

文 ハヤケン