もぅ~オカン! 親父なんとかしてーなー。
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春季大会~夏の大会

入学して、すぐに春季大会が始まった。

ちぃ坊は背番号14を貰ってきた。

他にも、横田・山田・大川もベンチ入りした。

あいにく、ちぃ坊の登板はなかったけれど、3年を差し置き今大会、4番はⅠ年の山田である。

驚く事に、Ⅰ試合2HRの活躍。

この間まで中学生だったとは俄かには信じられませんでした。

この頃より、山田のお父ちゃんお母ちゃんと仲良くなる。

そして、中学から一緒に進学した大橋君のお父ちゃんも仲良しだった。

3人のお父ちゃん共大酒飲みだった。

結局、この3人は最後までお酒繋がりで盛り上がった。

その後も、色んな学校に練習試合に行った。

いよいよ7月、選手権予選(夏の大会)が始まった。

どういっても、前年の甲子園出場校である、ぶざまな試合はできない。

ちぃ坊も、またまた背番号14を貰ってきている。

しかし、いっても夏の大会である。

出番などあろうはずがない。

わりに気は楽であった。

開幕して1戦目、日本三景の一つでもある〇〇球場。

この試合は、忘れられない。

今までの楽しい試合とはうって変わって、心臓が口から飛び出ると言う物の例えが、本当にあるとわからされた試合だった。

まだ梅雨の明けきらぬ重たい空の下、いつも大変懇意にしてもらっている居酒屋の『なぁーちゃん』が、お弁当を作ってきてくれ、もう一人、うちのお客さんの『河田』

この河田さんは、日本の大手企業を退職し、年金暮しの爺さん。

若い時に結婚に失敗し、長い間独身だったが、退職前にスナックのママと再婚したものの、酒癖の悪さに奥方は驚いて家を出ていってしまった。

この酒癖の悪さというのが普通ではない。

酔って暴れたりするのではなく、とにかくうるさい。
大声で唄うのだ。

それも軍歌。

しかも歌詞間違ってる。

休みなしに唄うのである。大声で。

こんだけ軍歌が好きなのだから兵隊にでもいったのかと思えば、昭和11年生まれで終戦の年には、小学生だったというからわけわからん。

うちの店でも、大声で歌いまくっては(うちにカラオケはない)他のお客さんをみんな帰らせて、自分も帰る。

何回、掘り出したことか。

しかし、何度掘り出しても又来る。

うちの界隈では、ちょっとした有名人でしたよ。

でしたよって事、今から3・4年前に自宅アパートで孤独死。

一人だけ、現役時代から仲のよかった人に見つけてもらって。

この人に借金残して。

年金の入る通帳は、見つからんじまい。

高利貸にとりあげられていたのか。

話しは戻りますが、蒸し暑い球場で、なぁーちゃんの作ってくれたお弁当をひろげました。

今の時代に逆行した濃い味のお弁当。

うちのお父は肉体労働者なんで、こんなんが大好き。

そして、それに慣らされた私達まで。

ちぃ坊なんかは、真夏の練習のあとなんぞ、

『なぁーちゃんの店のもんが食べたい』

と言うぐらいです。

さて、プレイボール。

相手は、公立の海洋高校。こんな事言っては失礼ですが、勉強もちゃんとしてクラブをしている野球部と、近隣の府県から、人材を集め勉強もせず、野球漬けの私学。

ましてや、去年甲子園で1勝している学校。

負けるなんてとんでもない、1点すら与えることは出来ません。

しかし、蓋を開けてみると先発の3年エースの長谷君の調子がよくない。

1回2点は先制したものの、3回にはあっさり逆点され尚もノーアウト満塁。

ここでピッチャー交代。

ちぃ坊がブルペンで投げてたのは知っていたが、もう一人2年の増田君もいるやん。

なんで?なんで?
なんで、ちぃ坊なん?

あかんて!あかんて!

見てられへん、あかんあかん何しにきたんや、母親である私がこの目でちゃんと見てやらんな。

そして、横のお父をチラッと見てみると、火の着いてないタバコをくわえたまま固まってる。
生唾をゴクッて飲み込むのが聞こえる。

マウンドをみると

あ゛ーー、スクイズきたあぁぁぁー
ほらいうたやろぉ
ちぃ坊左やし、あかんてー!

相手ベンチはイケイケ。
応援席は大盛上がり。

頑張れーちぃ坊!!!
野次に負けるなぁー。

3年生の保護者からは

ほんで、1年ではあかんていうたやろ。

てな視線を感じた。

この時程、ちぃ坊に野球をさせた事を後悔したことはない。

もうこのまま逃げて帰りたいような気分だったが、ちぃ坊のせいではない。

野球は誰かが投げなければ始まらないし、終わらない。

再びお父を見ると、まださっきっおんなじ格好のままだ。

結局、あと2点取られピッチャー交代。

その後、うちが打線が爆発したのと、2年増田君がキッチリ押さえ、初戦突破出来ました。

ちぃ坊にとっては、ほろ苦い公式戦デビューでした。

兆し

まぁー、高校にはいってからというもの、びっくりすることばかり。

なんせ、田舎で軟式の学校のクラブをしていたうちのちぃ坊の友達ぐらいしか知らなかった私達。

この年は、前年に甲子園に行ったということで、特に京都・大阪・兵庫などから生徒が集まっていた。

S高校野球部始まって依頼の異様な雰囲気だったかもしれない。

入学式がすんですぐ、高知商業に練習試合にいった。
たぶん、朝5時集合だったと思う。

その頃は、まだ学校に小さいバスしかなかった(その後大型バスを購入。そのあと、今や夏の甲子園などのテレビコマーシャルで有名になったわかさ生活の社長が我が校のOBで大型バスを寄贈してくださいました。)

高知行きたい…。
練習試合みたい。

でも、遠すぎる。
休日ならお父もいるから、行ってたかもしんないけど、うちは京都府の北部。

そこから、瀬戸大橋渡って…。

無理。

結局、諦め留守番してたよ。

チィ坊が帰ってきたのは、深夜1時ぐらいだったと思う。

『おかえりー。
どやった?』

『勝ったで』

と言ったきり、お風呂入って寝てしまった。

ほんで、どやったん?
どやって勝ったん?

と聞きたかったが、本人疲れているようなので、無理には聞かずに寝た。

それから、明くる週の日曜日、練習試合を観戦に行くと、この年初めてピッチングコーチに就任された、島田コーチが

『お母さんに、こないだの事報告したか』

と言われ

『いつもお世話になっております。いえ何も聞いてないんですけど。』

『12奪三振やったんですよ』

『えーっ!ほんまですかッ』

てなかんじやったんです。

後々、この島田コーチが3年間の高校生活で本当によい関わりを持ってくださいました。

野球の終わりと始まり。

功ちゃんの中学野球生活はアッサリしたものでした。
功ちゃん3年、ちぃ坊2年の最後の夏の大会。

夏休み前に始まります。

そして、夏休み前に終わりました。

功ちゃんは泣きました。泣いて泣いて

『もう、野球やめる』

小学3年から始まった野球生活が終わりました。

ご苦労様でした。
お父さんとお母さんはお金では買えないものを貰いました。
ありがとう。

そして、ちぃ坊が野球部最高学年になりました。

この年はけっこう良い選手がそろい、近畿大会も夢じゃない。
という感じでした。しかし、後年バッテリーを組む事になる横川(現オリックス)に負け、府下大会にもいけませんでした。

しかし、すべての試合が終わり、秋も深まる頃学校から呼び出しがありました。

お父と私は一張羅に着替え、お父なんかは慣れないネクタイまでして緊張の面持ちで、校長室に通してもらうと、その夏、甲子園に出場したS高校の田上監督もおられました。

『野球の特待生できてほしい』

と言われ、何が何だかわかりませんでしたが、田上監督は、授業料の話し、学校での待遇を淡々とされていました。

ちぃ坊はと言うと

『やったーこれで受験勉強せんでいい』

と、内心そう思ったそうです。

翌春、晴れてS高校に入学することになりました。

3月15日、中学の卒業式で翌日より、練習に参加しました。

2日目に練習試合に行きました。
大阪の南部の高校です。

『おんなじ1年で一人だけ出してもろとった』

『ええーツ!誰?誰?』

『大阪のやつ』

その後、練習を見に行ってびっくりしました。

みんな大きい!

特に、その『大阪のやつ』187㌢。
その次は、舞鶴の横川。
そして、山田。

監督さんが、凄いやつがくるんですよ。
って言うてたけど、この子らやー。

そして、この間の練習試合に出たってのは、O原君。

そらそうでしょう。
3年も2年もたくさんいるのに、前年甲子園出てるのに、まだユニホームもないのに先輩に借りて練習試合にでるはずです。

だって、この間ヤクルトの古田の最後の試合で、古田を胴上げしてたもの。

テレビ見てたわ。

そう、プロ。

同級生2人ドラフトにかかったんです。
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